パンジーでは、月1回のピアカン活動を続けていますが、NPO法人大阪障害者自立生活協会さんと下記の講座を開催することになりましたので、ご案内します。
2007年度「ピア・カウンセリング講座(知的障害者対象)」
たくさんの人に「ピア・カウンセリング」のことを知ってもらうため、大阪障害者自立生活協会では、本年度も「ピア・カウンセリング講座」を開催します。 今回は、知的障害の方々を対象とした講座です。
日程 2008年
3月15日(土) 10時〜17時
3月29日(土)〜30日(日)10時〜翌12時(泊まり)
4月 5日(土) 10時 〜 17時
http://docune.jp/doc/2718?pkey=m4qifklyuy22h
2008-01-19
2000-10-21
元気が倍になります

東京から境屋うららさんとかがきて、月に一回、パンジーのメンバー12人ぐらいが、やっています。
ピアカンというのは、仲間同士で自分の気持ちを言うことです。一人5分くらいずつ言います。自分で言いたいこと、親に「あれせえ」とか言われて、どんな気持ちになっているかをいいます。
その人のいいところをほめあったりすることが大事だと思っています。それから相手の気持ちを考えてあげることです。おたがいに助け合ったりするといいと思います。
人のいやがることはぜったいにしないことです。相手の気持ちをよく考えてから、困っていたらお互いに助けあいをします。
ピアカンをすると元気が倍になります。今まで言えなかったことが、言えるようになりました。ピアカンのリーダーをもっとしたいと思っています。
麻窪みどり
(『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
posted by パンジー at 21:29
| ピア・カウンセリング
ピアカンの2年間をふりかえって
1995年3月に初めてパンジーを訪ねた時、彼らのやさしさ、親しさに感動してしまった。本当に人なつっこくて、明るく、仲間にやさしく、助け合っていた。職員から、「ピアカンを彼らのためにやって欲しいんだけど。」と言われたとき、私は、彼らはそのままで十分ピアカンをやった人と同じくらい、すばらしいから、あらためてやる必要はないんじゃないかなと押し返したのだった。
職員のための勉強会をやることになり、どうせ行くならということで、ほんのちょっとのつもりが、実際にやってみると本当によくできて、私が感動してしまい「もっときちんとやろう。」なんて思い出したのが事の始まりだった。
実際始めてみると、日常的な親しさが逆にあだになり、話し手が切り出すまで待っていられず、横槍をいれてしまう場面が多く、本人が照れて黙ってしまい、周りがにぎやか、ということもあった。
やり方も試行錯誤で、サポーターであるピアカンをすでに知っている人を何人入れるか、誰に頼むか、日常に知っている職員がいいのか、そうでないのか、いろいろやってみた。
2年たってみて、Mさんという素敵な知的障害者がピアカンのリーダーシップを取り始めている。言葉のないPさんがジェスチャーで耳に手を当てて、聞くポーズをしてピアカンのことを表している。なんて素敵にピアカンの本質をとらえているのだろう。Pさんは、自分の話す時間には、言葉は何もしゃべらないが、皆の注目を利用して、心の中でいろんな気持ちを味わっているのだろう。日常的には、ずいぶん声をだせるようになったみたいだし、積極的になった。
また、忘れてならないのは、本人達がピアカンをこんなにうまく使いこなしているのは、日常的なレベルで、職員の人たちのサポートもあるからだと思う。職員のための勉強会のおかげで、その下地が作られたようだ。ピアカンで座布団投げをしたとき、休み時間に一人の人が出会い頭に何も言わず職員の顔をひっぱたいたそうだ。ひっぱたかれた職員が後になって私に話してくれたのだが、その職員は「ピアカンの最中だし、そういうこともあるよなと思った」のだそうだ。もしこの職員に理解がなかったら、危うく大問題になるところで、私は冷や汗ものだった。
知的障害者は、彼らの状況や気持ち、立場について私たちがわかるようには説明してくれない。だからこそ彼らは知的障害者なのだ。彼らが自分自身をストレートに表現し、生き生きと活動していこうとする時、周りの固定概念や想像力のなさなどが問われるのだ。
知的障害者がお互い影響しあって、ピアカンを使って、仲間とつながり、彼らの状況を変えていく力になること期待してやまない。
境屋うらら
(『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
職員のための勉強会をやることになり、どうせ行くならということで、ほんのちょっとのつもりが、実際にやってみると本当によくできて、私が感動してしまい「もっときちんとやろう。」なんて思い出したのが事の始まりだった。
実際始めてみると、日常的な親しさが逆にあだになり、話し手が切り出すまで待っていられず、横槍をいれてしまう場面が多く、本人が照れて黙ってしまい、周りがにぎやか、ということもあった。
やり方も試行錯誤で、サポーターであるピアカンをすでに知っている人を何人入れるか、誰に頼むか、日常に知っている職員がいいのか、そうでないのか、いろいろやってみた。
2年たってみて、Mさんという素敵な知的障害者がピアカンのリーダーシップを取り始めている。言葉のないPさんがジェスチャーで耳に手を当てて、聞くポーズをしてピアカンのことを表している。なんて素敵にピアカンの本質をとらえているのだろう。Pさんは、自分の話す時間には、言葉は何もしゃべらないが、皆の注目を利用して、心の中でいろんな気持ちを味わっているのだろう。日常的には、ずいぶん声をだせるようになったみたいだし、積極的になった。
また、忘れてならないのは、本人達がピアカンをこんなにうまく使いこなしているのは、日常的なレベルで、職員の人たちのサポートもあるからだと思う。職員のための勉強会のおかげで、その下地が作られたようだ。ピアカンで座布団投げをしたとき、休み時間に一人の人が出会い頭に何も言わず職員の顔をひっぱたいたそうだ。ひっぱたかれた職員が後になって私に話してくれたのだが、その職員は「ピアカンの最中だし、そういうこともあるよなと思った」のだそうだ。もしこの職員に理解がなかったら、危うく大問題になるところで、私は冷や汗ものだった。
知的障害者は、彼らの状況や気持ち、立場について私たちがわかるようには説明してくれない。だからこそ彼らは知的障害者なのだ。彼らが自分自身をストレートに表現し、生き生きと活動していこうとする時、周りの固定概念や想像力のなさなどが問われるのだ。
知的障害者がお互い影響しあって、ピアカンを使って、仲間とつながり、彼らの状況を変えていく力になること期待してやまない。
境屋うらら
(『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
posted by パンジー at 21:26
| ピア・カウンセリング
ピア・カウンセリング
1995年4月、知的障害を持つ人たちが自らのほんとうに望む生活ができているのか、そして私たち支援者は彼や彼女らを抑圧することなく支援ができているのかが、大きな課題となっていました。
そのような状況の中で身体障害者の自立生活センターで行われているピア・カウンセリングをパンジーでもとりいれ、知的障害を持つ人達が日常の中でサポートしあう関係がつくれないだろうかと、くにたち援助為センターに相談をもちかけたのが、パンジーでピア・カウンセリングを始めるきっかけとなりました。
以来、みんなでその日をわくわくと待つ雰囲気が定着してきているのと同時に、自分に自信をもつ事、仲間同士助け合う事の大切さをしっかり実感しているのを感じます。
また、パンジーでは、当事者の人達が学校などに講演に行っています。そこで、自分たちのやっていることや、これからしたい事などを話して、多くの共感を得ています。これも、ピア・カウンセリングなどを通じて、まず自分を認めること、そして、うれしかった事や悲しかった事を話しても、みんながその気持ちを受け止めてくれることを実感し、自信がついてきたからだと思います。
職員はピアカンでいうところの「ピア」(仲間同士)ではありません。そのことに寂しさを覚えると同時に、ピアカンがもっとピアな間で育っていってほしいと思ってきました。
そのため、これまで身体障害者にリーダーをお願いしてきました。また、最初の2〜3回はピア・カウンセリングの手法を知っている職員が入りましたが、当事者の人たちが職員を注目しがちになるので、それ以降、職員は入らないことにしました。
そして、5年を経た今、原則を大切にしながらも、「知的障害を持つ人をリーダーとしたピアカン」があってもいいなと思うようになってきました。そして、近い将来、知的障害を持つ人達が「ピア・カウンセラー」として、「知的障害を持つ人が知的障害を持つ人の相談にのること」が社会的に認められる日がくることを願っています。
西尾 一美
(『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
そのような状況の中で身体障害者の自立生活センターで行われているピア・カウンセリングをパンジーでもとりいれ、知的障害を持つ人達が日常の中でサポートしあう関係がつくれないだろうかと、くにたち援助為センターに相談をもちかけたのが、パンジーでピア・カウンセリングを始めるきっかけとなりました。
以来、みんなでその日をわくわくと待つ雰囲気が定着してきているのと同時に、自分に自信をもつ事、仲間同士助け合う事の大切さをしっかり実感しているのを感じます。
また、パンジーでは、当事者の人達が学校などに講演に行っています。そこで、自分たちのやっていることや、これからしたい事などを話して、多くの共感を得ています。これも、ピア・カウンセリングなどを通じて、まず自分を認めること、そして、うれしかった事や悲しかった事を話しても、みんながその気持ちを受け止めてくれることを実感し、自信がついてきたからだと思います。
職員はピアカンでいうところの「ピア」(仲間同士)ではありません。そのことに寂しさを覚えると同時に、ピアカンがもっとピアな間で育っていってほしいと思ってきました。
そのため、これまで身体障害者にリーダーをお願いしてきました。また、最初の2〜3回はピア・カウンセリングの手法を知っている職員が入りましたが、当事者の人たちが職員を注目しがちになるので、それ以降、職員は入らないことにしました。
そして、5年を経た今、原則を大切にしながらも、「知的障害を持つ人をリーダーとしたピアカン」があってもいいなと思うようになってきました。そして、近い将来、知的障害を持つ人達が「ピア・カウンセラー」として、「知的障害を持つ人が知的障害を持つ人の相談にのること」が社会的に認められる日がくることを願っています。
西尾 一美
(『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
posted by パンジー at 21:23
| ピア・カウンセリング
