新しい年が始まりました。あけましておめでとうございます。そして、いつもパンジーだよりを読んで下さっている方、日頃のご協力ありがとうございます。
昨年度は、自立支援法にあけくれた1年でした。知的障害を持っている人たちの地域生活が維持できるのか、生活の質を保障する運営ができるのか、一時は暗澹とした気持ちになりました。しかし、そういう時期だからこそ、「何を大切にするかを見極める必要があることに気づいた」と前号のパンジーだよりに書かせて頂きました。
そんな折り、タイムリーにカリフォルニア研修のツアーがあったので、思い切って参加してきました。私にとっては、10年ぶりの訪問でした。10年前、当事者のパワフルなのに驚き、それを支える制度と実現のためのプログラムに感心しました。その時学んだことが、パンジー版「元気のでる話」や「当事者の講演」として定着しています。今回の訪米では、制度は以前と同じですが、「地域でその人らしくくらす」事が、多くの人に広がっているのを感じました。また、当事者の人権を守るポスト等に当事者が就いていました。
日本は、当事者主体や自己決定の理念はありますが、それが、当事者の暮らしにどこまで浸透しているかを考えると、まだまだ点としての存在であると思います。それは、例えば、結婚している当事者が多いアメリカと、まだまだ珍しい日本を比べた時に、はっきりわかると思います。
今回、うれしいことに、1991年に来日したコニー(ピープルファーストのリーダーの一人)とバーバラ(支援者)に再会できました。二人は、私がピープルファーストに関わり始めた原点です。この原稿を書きながら、二人との再会は、私に、「原点に戻りなさい」と伝えているように思えてきました。この10数年間、やみくもに活動したことや、状況の中で変更せざるを得なかったこと、やり残した事などがたくさんあります。その1つ1つつなぎ合わせながら、気持ちを新たに、知的障害を持つ人たちの権利とその人らしいくらしの実現に取り組みたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。(林淑美)
SATISFACTION!
今、ケータイの某社は、「CUSTOMER
SATISFACTION」と盛んにCMを流している。「お客様満足度」が高いとアピールしているわけだが、アメリカで、同じフレーズにお目にかかるとは、思ってもみなかった。
カリフォルニア州発達障害局で説明を受けているときに、表紙に大きく「SATISFACTION」と書かれたパンフレットが配られた。IPP(自立生活支援計画)に基づき提供されているサービスに対して、利用者に満足しているのか 聞くためのパンフだった。
文字はほとんどなく、分かりやすいイラストで構成されていた。当事者にとって本当に分かりやすいものを、行政が本気でつくっていることに驚いたが、それよりもむしろ「満足していますか」と問いかける段階にあるのだと、改めて思い知らされた。
私たちは、「誰もが地域で自分らしく暮らす」ことを目ざして活動している。しかし、「障害者自立支援法」が象徴しているように、日本では当事者の自己決定がないがしろにされ、「入所施設」という選択肢が、当事者のまわりから消えることはない。
だが、アメリカは違う。「入所施設は人権侵害」というオルムステッド判決が下され、カリフォルニア州においては、当事者が望む生活を保障するエンタイトルメント(サービス受給権)が確立し、それに対して予算もつく。何よりも権利保障としての視点で、当事者の「生活の質」に目が向けられている、この違いは大きい。そのためか担当者の「施設解体」の話によどみがなかった。
日本での「個別支援計画」は、義務化はされているが、行政の裏付けはない。当事者が計画で希望を語っても、支援する側の「やる気」に委ねられている。これでは結局のところ、当事者の意志は置き去りにされる。「地域生活」は誰のためのものなのか。その意識レベルの差が、当事者の生活の質に跳ね返っている。
アメリカで会った当事者は、皆堂々としていた。支援者も同様である。私たちは、「今の生活に満足していますか」とためらいもなく聞けるだろうか。限られた選択肢しか示せないこの国は、やはり貧しい。(福岡)
正しい方向に歩んできたカリフォルニア州と理念が定まらない日本
コミュニティサポート研究所 齋藤明子
◆本人中心は揺るがなかった!
これまで8回カリフォルニア州に研修旅行に行きました。そして今回の旅行でもカリフォルニア州の本人中心のシステムが揺らいでいないことを確認しました。例えば、これまでも発達障害局、リージョナル・センター(市の障害者福祉課のようなところ)、プロテクション・アンド・アドボカシー(権利擁護センター)には当事者職員がいました。常勤でしたが仕事の内容がはっきりしない「お飾り」的存在でした。しかし、今回はどこでも発達障害者は障害のない同僚と肩を並べていそがしく働き、自分のデスクを持って、本を出したり実際の相談にのったりしていました。予算が不足したといって日本は支援費制度を投げ出してしまいました。カリフォルニア州もその間、破産したと言われるほどの逼迫を経験しました。しかし、予算がないんだから当事者職員のクビを切りましょうとか、本人の希望を無視してサービスを切り詰めましょう、ということにはなりませんでした。この違いは何なんでしょうね?
◆バディがんばれ
2005年4月から2006年3月までコミュニティサポート研究所では『バディシステムの構築とIPPの作成』というプロジェクトを実施しました。これまでの当事者運動は、自己主張、自己決定の推進でした。ここ10年くらいの間にかなりの成果をあげてきたと思います。これからは具体的な問題(たとえばホームヘルプサービスをもっと欲しいとか、こんなサービスは無いかな)について仲間の相談にのるバディ=当事者リーダーを養成できないかな、と思って、ささやかですが取り組んでみました。パンジーさんも参加してくださいました。その時のバディが今回の旅行にも「行きたいッ」と言ってくれました。通訳しながらそっとバディの様子を見ていましたが、仲間が迷っていると説明したり、大事な物をしまうのを助けたり、実に上手にさりげなく助けていました。また、当事者ならではの質問もしてくれました。我田引水とか「欲目だろう」と言われても気にしません。人は役割を与えられると成長し、その役割が勤まるようになるのです。バディばんざい。バディがんばれ。
恒例 ちょっといい話
中新井 澪子
今年のお正月は、なつかしい人から電話や手紙を多くいただいて、心うれしく過ごした。昨年末に『たたかいはいのち果てる日まで』(向井承子著)の復刻版が刊行(エンパワーメント研究所 発行)されたお陰である。パンジーだより43号〜オシッコの話〜 で一度だけ紹介したことがあるこの本は、私の夫である中新井邦夫(医師)の生きざまを縦糸に東大阪市療育センター設立に至る当事者、家族、専門家、行政など関係者のさまざまな思いを織りこんだ「たたかい」の熱い記録である。1984年に新潮社から出版され、その後、筑摩書房で文庫化されたもののすでに絶版となっていた本が二十数年ぶりに復刻という形でよみがえったのだから、私を含め周りもいささか興奮状態である。
「たたかわなあかんなぁ、けど何に対してなのか」と夫は2度強く思ったという。一度目は、戦争中、突然の空爆でとびこんだ他家の防空壕の中で、そして二度目は当り前の生活が阻まれている障害者と医師として出逢った時だ。どちらも人間同志のせめぎ合いの中で、自分の居場所がない。病院や入所施設でその人の疾病や障害に医師として「たたかい」続けても、普通の生活をしてほしいと思って、一生懸命治療や訓練に努力をしても、彼らに帰る場所は見つからなかった。「たたかい」は地域の中だ、今日から明日につながる日常性にこそと思い定めるうちに、夫は自分が手をこまぬいて見ているわけにはいかなくなった。
復刻版のオビに「障害者の地域における暮らしを支えるシステムはどうあるべきか。自らの死に至る病をかえりみることもなく、その答を求め続けたひとりの医師の壮絶な生きざま」と書かれている。でも実際は、緊急を要する施設として療育センターを設立した時すでにその答は出来上っていたように思う。発病してからの「たたかい」はその実現に向けて、また安定的な継続を可能にするために奮闘したのである。この「たたかい」はある意味その後ずっと、そして現在も各地で続いているといってよい。そのまぎれもない証拠が、今回の奇跡的な復刻である。エンパワメント研究所久保耕造氏(ホームページ)の復刻顛末記や「復刊ドットコム」に寄せられた多くのコメントを読むと、各地でさまざまな「たたかい」をしてきた人達に、この本は確かな信念と方向性を与えていたことが分かった。久保氏はじめ全く知らない多くの人達の力でこの本が復活したことに感動している。復刻本を手にして私ははじめて、心穏やかに読むことが出来た。決して「後の祭り」ではなかったと思えるようになったことがうれしい。この場を借りて向井承子さんに改めてお礼を申し上げたい。
「乳ガン」を自分で見つけた時から、夫の最後の壮絶な「たたかい」が始まった。「たたかい」続けたから早く逝ったのか、早く逝くから「たたかい」続けたのか、どちらも本当のような気がするが、私だけでなく多くの人の心の中で、まだ生き続けているのも本当だ。
没後25年目の昨年、障害者自立支援法が施行された年にこの本が刊行されたのも偶然ではないのかもしれない。著者のあとがきにもあるように「この社会はどちらに向いていくのか」また新しい「たたかい」が始まっている。
どうも私は夫のことを書き出すと止まらない。結局今回は復刻版のことで紙面がつきた。「加齢」の続きは、また次回ということでお許し下さい。
「たたかいはいのち果てる日まで」復刻顛末記 by 久保耕造
http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/tatakai.htm
「たたかいはいのち果てる日まで」復刻顛末記 2 by 田中正博
http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/tatakai-2.htm
再び差別表現を考える 3
楠敏雄
これまで見てきたように差別とは、あるものを他のものと区別するためにそれぞれの違いに優劣の価値付けなどを行い、それに基づいて劣った人たちを選別し、排除することである。
ところで、時々マスコミ関係者などから「どんな言葉が差別語にあたるのですか?」と問われて、答えに窮することがある。もちろん長い歴史をとおして、特定の人々を貶めるものとして使用されてきた言葉は、今もなお存在し、時には差別の実態を固定化し、拡大することにさえなっていることも否定しがたい事実である。しかしながら、それらの「おずおずとした対応」を生み出した原因は、しばしば被差別者の側の「主観的抗議」と、使用する側の「過剰な反応」に由来してきたことも確かである。
ある言葉や表現を差別か否か、と規定する要件として考えられるのは、まず第一にその表現を用いた人の意図、つまりその人は対象者の尊厳を否定し傷つけることを意図して発言した場合である。障害者差別に限って言えば、それは障害を持つ当事者に向けられた侮蔑的言葉であり、それらは無条件に「差別表現」として使用した側に根本的な反省と謝罪、さらには差別意識の変革を求めるのは当然と言える。第二の要件は、その使用者がどのような場面でその言葉を使用したかである。例えその相手が障害を持たない人であっても、その相手を非難、もしくは貶めるために比喩的に使用された場合、それは差別表現と言わざるを得ない。その際にもやはり、その発言者が抱いてきた障害者観が問い直されねばならぬことも言うまでもない。
最後にしばしば論議となるのは、すでに日常的な用語として用いられる表現である。例を挙げると「時計が狂う」「盲目の恋」「こんな失敗をしてアホやなあ」などなどである。それらは相手を非難したり貶めたりするために用いられたとは言えないが、一方でマイナスのイメージを表現することに結びつくこともしばしばである。ただこれらは、基本的には「ケースバイケース」で検討を加え、対応するしかないのだが、率直に言って私たち追求する側と使用する側とのコミュニケーションがきわめて不十分だったことは否めない。その結果が過度な「言葉狩り」や「禁句集」的な悪疫を生み出してしまったのではなかろうか
自分を大切にしてほしい! 八尾の事件から考えたこと
八尾市で、 知的障害を持つYさんが、歩道橋から3歳の子供を投げ落とすという事件が起きました。
子供とその家族の人たちの心情を考えると、言葉がみつかりません。1日も早い、体と心の回復を願います。
パンジーは、活動を通してYさんを知っている当事者の人たちがいます。その人達は、同じ障害を持っていると言うだけでなく、知っている人が起こした事件に、気持ちが大きくゆれ動きました。そこで、まず、障害を持つ当事者としての自分たちの気持ちを整理するために、話し合いを持ちました。
日々知的障害を持つ人たちに関わる私たちが、「今後何をすればよいか」を考える参考になればと思い、一部を紹介したいと思います。
「八尾の事件をどう思いますか?」
・障害者の人たちが世間から変な目で見られないか心配。変な目で見られたらつらい
・Yさんのお母さんが「相手の人になんてお詫びをしたらいいのか」って言っていた。お母さ
んがかわいそうに思えた。
・自分を大切にしてほしい。人生が変わってしまうから。腹が立ってもケガさせたらあかん。
・子どもを見んと、クッキーの販売をしていたらよかった
・Yさん、もっと大切なことを学ばなあかんかもしれん
・人の命をどうして、あんなことするんかな?
・Yさんは、心からちゃんと話しあえる友達とかいたんかな?なんでも言い合える仲間。
・時間たっぷり使って話し合えたら、心のもやもやや、つもりつもった気分もすっきりしたのかな?
「自分がYさんだったら、どんな気持ちですか?」
・仲間がほしい
・競馬行こう、コンサート行こう。冗談交じりの話でも聞いてもらいたい
・僕の立場やと、ちゃんとアドバイスを受けたい。あったんかな?職員や仲間から
・Yさんのその時の状態で、ぴったり見ておく時と、遠くからで良い時とがあると思う。
「知っている人の事件でしたよね?」
・知っている人がやったんやなーってビックリした。Yくんをテレビ見て。Yくんが車で座って下向いて出とった。
・ なんで追いかけて行かへんかったのか?「やめなさい。子どもを投げないで!」って言うため
・僕の所に連絡してくれたら、とんでいって助ける。Yさんを止める
「人を歩道橋から突き落とそうとするのを止めるということが、Yさんを助けるってこと?
なんで投げたと思う?」
・ストレスがたまってたんちゃうか?
・Yさんに会ったら「なんでそんなことしたんか、赤ちゃんをなんで歩道橋から突き落としたんか説明してくれへんか?」言う
・あんな事件が起こったから、ハート行くのやめようかなっていうぐらいショックやった
・みんな傷つくんちゃう?昨日色々考えてつらくて泣いた。
・Yさんにやめてくれって言って、Yさんを助ける。赤ちゃんも助ける
・覆面パトカーに乗ってるのをみて。・・・こうやって(肩をすくめて)乗ってて運転手と助手席人と
・今度Yくんが出てきたら、絶対やめてくれっていう。
・自分の人生はこれから仕事もいっぱいあるのに、投げてしまったら。
・全国の地域で年令問わず人を殺したり、首締めたり、事件なんかおこってほしくない
・二度と繰り返さないでほしい。今度出てくるまでにしたことをつぐなってほしい。
・子どもが治るかな。子どもがなおらんかったら罪が重くなる。裁判所がどう言うか
「今後、職員や地域の人に、どうしてほしいですか?」
・職員は何のためにやるんだろう?責任もって見てほしい。
・職員さんに声をかけてほしい。冗談でも、怒らないように言ってほしい。名前を言ってほしい。冗談でも。
・他の当事者の人が重度やったら、難しくなるんかな?
・みんなを守ってほしい。
・一人ひとりに声かけたらいいんちゃうかな?
2007-03-06
パンジーだよりNo.62
posted by パンジー at 09:25
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