2004-10-01

パンジーだよりNo.53

知的障害を持つ人の地域生活について

 知的障害を持つ人は、全国に約46万人。そのうち約13万人が入所施設で暮らしています。
1人暮らしをしている人、夫婦で暮らしている人、グループホームなど地域で自立した生活を送っている人は、46万人の1割にもなりません。
 2003年から2004年にかけて、パンジーでは、関西地区、徳島、沖縄、鳥取の209名の当事者にアンケート調査を行いました。調査は知的障害を持つ当事者が対面で行いました。そのことで、より当事者の本音に近づけたのではないかと考えています。アンケートで「将来住みたい所」について聞いたところ、「入所施設で暮らしたい」と答えた人は2人だけでした。多くの知的障害を持つ人たちは、地域で暮らすことを望んでいるのです。(表1)
 
 パンジーのグループホームで暮らして3年目になるMさんという男性がいます。彼はいわゆる重複重度の障害を持っています。パンジーでは彼の生活を全面的に支援しています。今回の『パンジーだより』で、医療・仕事・グループホーム(生活)・日中活動・制度の面から彼の地域生活を紹介したいと思います。そして、どんなに障害が重くても地域で生活できることを実感していただけると幸いです。




知的障害を持つ人の自立と支援者の役割
林 淑美(クリエイティブハウス「パンジーU」施設長)

自立への取り組み・・パンジーの実践をとおして
 私の所属するクリエイティブハウス 「パンジー」は、知的障害を持つ人の日中活動を支援する通所授産施設である。1993年の開所以来、知的障害を持つ人たちが地域で自立するためのシステム作りとそれを支援できる職員の養成に力を入れてきた。知的障害を持つ人が家族との生活に息苦しさを感じたり、家庭基盤の弱体化に伴い、一緒に暮らす事が困難に思われた時、その打開策を入所施設に求めない事を基本としてきた。
 現在、パンジーの通所者57人中28人がグループホームで暮らしている。てんかん発作がある人、自傷・他傷のある人、身体障害との重複のある人、言葉によるコミュニケーションの困難な人等、地域生活は無理だと言われてきた人たちも受け入れてきた。その結果、障害の重い人が8割になる。
 グループホームの入居理由は、親の離婚や長期入院等により、家族との同居が困難になった人が5人。こだわりやパニック等で家族が当事者を支えられなくなった人が4人。家族が当事者の将来の事を考えての入居が8人。これは、自閉的傾向や障害の重い人の親が選んでいる。そして、当事者の希望が11人。自分の希望を言葉で伝える事のできる人たちである。その内、7人は他の理由も併せ持ち、当事者の自己決定のみでグループホームを選んだ人は4人だけである。
 以上、グループホームへの入居理由を見てみると、当事者の自己決定を除いては、入所施設への入居理由とほぼ同じである。という事は、パンジーに通っていなければ、入所施設で暮らす事になった可能性の高い人の数でもある。
 要するに、地域生活の基盤が危うくなった時、当事者や家族の持っている情報やまわりの人の支援の量で、入所施設か地域生活かが決まってしまうのが、知的障害を持つ人をとりまく福祉の現状である。

職員から支援者への転換
 知的障害を持つ人の暮らしは、まだまだ入所施設が主流であるにもかかわらず、パンジーに通う人たちの約半数がグループホームで暮らしている。全国的に見てもかなり高いパーセンテージである。
 この事の最大の要因は、支援者の意識だと考える。従来の施設職員は知的障害を持つ人のできない面や困った面に着目し、指導や訓練によって健常者に近づけようとしてきた。障害の重い人については、地域生活は無理だと考え、入所施設が適当と決めてきた。
 施設職員は、知的障害を持つ人たちと多くの時間を共有している。その時間を、指導や訓練に費やすのではなく、知的障害を持つ人が自立に向けてチャレンジできるように支援をしていくことが大切だと考える。 パンジーでも、新入職員のなかには、指導しようとする人や障害の重い人の自立を信じられない人もいる。それでも「地域で共に生きる」という理念にもとづいて、悩みながら実践を重ねるなかで、どんなに障害の重い人でも地域で暮らせるし、支えられるのだという自信を持つようになる。その自信が、パンジーで自立している人のパーセンテージの高さにつながっていると考える。      (『部落解放−知的障害者の人権−』より、一部抜粋)




Mさんとの出会い

 Mさんとの出会いは、2000年8月、ショートステイの依頼から始まった。その時のMさんはガリガリに痩せていて言葉もなく、車いすの上で、無表情に一点を見つめているだけだった。母親から、以前は就労もめざしていたこと、しかしその後20年近くいくつかの精神病院に入院し、最近自宅に戻ったことを聞く。しかし自宅での介護は難しく、2週間単位での入所施設併設のショートステイで繋いでおり、行政も空きが出れば施設への入所を勧めているとのことだった。パンジーではMさんが地域で自分らしく暮らせないか模索してきた。これまでのMさんへの関わりをまとめてみる。

(省略)

Mさんが、パンジーに通いグループホームで暮らし始めた頃石神先生から「彼のこれまでの経験を共有できるように」とのアドバイスがあり、20代の頃通っていた施設に話しを聴きにいった。そこには母親が見せてくれた写真のとおり、野球が好きな、生き生きとした活発な青年の姿があった。なぜ20年間も入院しなければならなかったのか、支援はなかったのかと、怒りが沸いた。
 3年たった今、豊かな表情は戻り、体力も回復していったが、同時に不眠が続いたり、飛びかかるなどの激しい行動に、関わる人たちが戸惑い、疲れ果てることもたびたびある。その度に石神先生やいろいろな人からのアドバイスをもらいながら、支援のあり方を話しあっている。過去のMさんの経験を尊重しながら、今のMさんが安心して、笑顔で暮らせるために、できることをこれからも考えていきたい。                         (たき)




Mさんの主治医として
社会福祉法人大阪府衛生会附属診療所<パンジー嘱託医> 石 神  亙

 2001年5月16日の初診以来もう三年以上のお付き合いになりますが、Mさんは、私にとって未だに謎の人です。
 初診時、哀愁をたたえた目つきや表情と対照的な、人なつこくてユーモラスな言動。行動はぎこちなく、左上肢には明らかな運動麻痺があり、尿便の失禁もあるというが、明光ワークスに入所していたのなら、当時は知的にも、運動面でもかなり能力が高かったはずです。それがどうして今のようなレベルにまで低下してしまったのか。2度まで精神科病院への入院に至った理由は何か?入院中に何があったのかを知りたいと思いましたが、彼に言わせようとするのは酷な気がしました。それで、「明光学園(現・明光ワークス)の西先生知ってる?」と問うと、「シッテル」。「こわかった?」「ウン」。「ぼくも西先生知ってるで」と言うと「ヤバイ!」といたずらっぽく答えたのです。「最初に入院したのはA病院?」「チャウワ!」。ついには水を飲んで、「アッ!ジュース入ってるやん!」とおどけて見せるなど、初診時からなかなかの役者ぶりを発揮しました。
 私が最初からこのような会話をMさんに挑んだのは、「明光学園という、知的障害者の中ではエリートコースを歩んできたMさん本人が、今の状態をどう感じているのだろう?」「ここに至るまでの悔しい思いが彼の今の行動に影響しているのではないか」と思ったからです。われわれ専門家は、お年寄りでも、障害者でも、今の姿に目を奪われて、本人が描いてほしいと願っている、その人の人間像を知ろうとしていないのではないでしょうか。Mさんの場合は、かつて、作業所の野球部のキャプテンだったと言う情報を得ていたので、「その頃のことが分かるような資料がほしい」とお願いしたところ、パンジーでは早速‘87年当時の写真をコピーして来てくださいました。自分のかつての勇姿を見ると彼は目を輝かせました。私としては、病院で何があったのかが一番知りたかったのですが、その話をしただけで彼は立ち上がって硬い表情になったので、彼の辛い過去を我々が察するしかないと思い、それ以上の追究はしないことにしました。精神科病院に入院した経緯も、まだ分かっていません。
 Mさんは、毎月1回はパンジーの他の仲間とともに、診療所に通ってきます。気が向けば、採血に応じてくれることもあります。たいていは「イヤヤー」「イタイワー」と拒否されますが・・。同様に、薬の効き目も気まぐれです。睡眠時間や、興奮・行動のコントロールなど、常識はことごとく打ち砕かれるのです。症状と薬のイタチゴッコはこれからも続きそうです。
 でも、Mさんは、皆に好かれています。好かれないまでも許してもらえるのです。人の気持ちをそらさない、無類の甘え上手だからでしょう。子どものときはきっと親に可愛がられたのでしょう。いつまでも子どものままで居る積りのようですが、「マーイッカ!」。




Mさんが利用している制度

Mさんが地域で自立してはや3年。
現在は次のような制度の裏付けによって、自立生活をしています。

身体障害者居宅介護事業(日常生活支援)
ホームヘルパーに入ってもらい、掃除洗濯等の家事や、入浴介助、買い物、グループホームでいっしょにのんびり過ごしたりします。グループホームに入居しているので、色々制限はあります。

知的障害者居宅介護事業(移動介護)
ガイドヘルパーといっしょに、いろんな所に出かけます。近鉄ファンだったということで大阪ドームへ野球を見に行ったり、暑い日にはプールへ行ったりします。目標はノーマルな余暇を過ごすこと。たとえ、計画を立ててもその日、気分が乗らないときはだらだら過ごす。計画の通りにはなかなか行きませんが、それは人間誰しも同じ事だと思います。

知的障害者地域生活援助事業
グループホームつばさに4名で入居しています。地域のマンションに住んでいます。世話人やホームヘルパーと過ごしています。

障害基礎年金

生活保護
パンジーUに通い、グループホームの住人となったことを機に、生活保護を申請しました。これにより、家族の経済的な負担はなくなりました。

他人介護料
生活保護を受給したことで、他人介護料の申請をしました。これは、月に○○円を、支給するからそのお金でヘルパーを雇いなさいよというお金です。

グループホームに住み、制度もたくさん利用し、毎日確実に支援者が確保されたMさんの自立生活は一見、順風満帆にみえます。 しかし、地域での理解や支援をうけ、本当に安心して過ごすことが出来るのはいつになるでしょう。制度が全てじゃありません。Mさんの地域生活には まだまだ課題が山積みです。
(よしたけ)




Mさんの仕事っぷり!

Mさんは、パンジーU(通所授産施設)で昼間、仕事をしています。Mさんは主に、車で地域の小学校や保育園などに営業や配達に行っています。学校の先生方などに笑顔を見せながらアピールをしているので、名前を覚えられています。休みのときなど「Mさんは?」と言われてるなど、存在感を出しているのです。
 パンジーにいるときは、好きな当事者の名前を呼んだり、近くに行ったりしています。周りの当事者の喧嘩には必ず口だしをしたり(よけいこじらすけど・・)、ちょっかいをかけたり、いたずらをしたりと、もまれながら楽しく過ごしているようです。
 そんなMさんですが、パンジーに来たすぐの頃は、周囲の人達への恐怖心・不信感などが強く、おびえた表情で周りの人達に攻撃的な行動で接していました。職員も当事者も、はじめは、どう接するか一生懸命考えました。そして「ここはパンジーですよ」「みんなMさんのこと嫌いじゃないよ」と、伝え続けることにしました。Mさんより年配の当事者は、「よしよし」と、Mさんを包み込むように接していました。
 Mさんは少しずつ変わっていきました。みんなのことをよく見ます。当事者のことも、職員のことも見ています。すっかりパンジーになじんだMさん。この5年間でゆっくりと自分の生活を取り戻していっていると信じています。          (みたて)




Mさんのグループホームでの様子、支援等について

2001年の入居以来、Mさんに対して様々な支援が試みられてきた。が、未だに「この支援は適切だった、効果的だった」と確信を持って言えるものはそう多くないのが実情である。そんな中、迷いつつも行われたこと、印象に残っていること、現在の様子などをちらほらと。
食事・・・当初は飲食物に対する執着が強く、落ち着いて食べることが難しい状態であった。食器が飛んだことも一度や二度ではない。おかわり6杯という記録も(その支援については議論になった)。落ち着いて、安心して、十分な量を食べてもらえるよう支援を心がけた。現在は状態にもよるが、落ち着いて食事できる場面が増えている。
排泄・・・失禁が多い。便秘、下痢を繰り返す等。時間排泄、薬の改善など試みた。上手くいくように思われた時期が続いたと思ったら急に安定しなくなる、ということが今なお続いている。トイレで排泄できる喜びを、Mさんと共有する日々である。
入浴・・・狭い空間が苦手なのか、落ち着けない様子。一方で、とても気持ち良さそうに湯船につかって、なかなか浴室から出てこないことも。
睡眠・・・グループホームにとって大きなテーマである。睡眠は不安定で、入眠剤、安定剤等を使用している。にもかかわらず、状態によっては全く眠れない事が容易に起こる。眠れないだけでなく、一晩中室内を歩きつづける、長時間大きな声が出続けることもある。   
大きな声が出ている時には、近所の様子も気になる(深夜は特に)。安定した眠りのために、部屋の様子、就寝までの流れ、添い寝の仕方(すべきかどうかも含めて)、薬の改善等色々検討してきた。この春から今までが嘘のように安定した睡眠が続いている。約半年間。眠前服用の薬が合っているようだ。担当医の石神先生との相談、試行錯誤の積み重ねにより得られた重要な結果だと思われる。
入居当初はやせ細り、歩くことも難しい状態だったMさん。現在はたくましい太ももとふくらはぎの筋肉と、引き締まったウエストをほこっている。今後も、元気だったり静かだったり、怒ったり笑ったりしている様子を見ながら、共に試行錯誤を積み重ねつつ、より良い生活を目指して、日々、暮らしていくことになるのでしょう。


posted by パンジー at 21:47 | パンジーだより