2005-01-01

パンジーだよりNo.54

入所施設を出て、地域で自分らしく生きる

 あけましておめでとうございます。2003年〜05年にかけて障害者福祉は大きな曲がり角に来ています。当事者が自分で選ぶというノーマライゼーションの思想に裏付けられた支援費制度が始まって2年もしないうちに、財源不足を理由に介護保険に統合される案が出されました。さらに「今後の障害保健福祉施策について(グランドデザイン案)」では、知的障害者にとって地域生活の柱とも言えるグループホームについて、障害の程度によって住むところを分けられる等、今のグループホームのよさをくつがえすような内容に驚きをかくせません。そして三位一体改革による福祉の一般財源化が言われ、憲法までもが「改悪」されそうな勢いです。
 今回の特集は「入所施設を出て、地域で自分らしく生きる」。現在、全国に入所施設は1622カ所・分場111カ所あります(2004年11月30日現在・WAMネットより)。約13万人もの知的障害者が暮らす入所施設とはどんなところなのでしょうか? 今号では、入所施設で暮らしていた2人の当事者にインタビューをお願いしました。彼らの口から出てくる入所施設の暮らしは「自由がなく、自分で決められない」というものです。そして多くの当事者は施設を出たい、入所施設は嫌だと訴えています。しかし、現状は知的障害者の入所施設から地域生活への移行率は、たったの1%です(「知的障害者の入所施設から地域への移行に関する研究」より)。
 立教大学地域移行研究センターの遠藤さんは「(地域移行できるかどうか)「本人」の「能力」を職員が判断している」と書かれています。また、入所施設で暮らしてきた松岡さんは「できる、できないに関係なく、支援してもらいながら地域で暮らすことが目的だ」と言います。1%を乗り越えるためには、当事者の「能力」を職員が手前勝手に判断せず、「どんなに重い障害を持つ人も地域で暮らすことを支援する」という意識の変革が必要ではないでしょうか。
 知的障害を持つ人たちが入所施設を出て地域で暮らせるようになるには、いろんな制度や、支援が必要です。でも支援があれば、だれでも地域で暮らすことができるのです。




入所施設からの地域移行
地域移行の質を問う

立教大学地域移行研究センター 遠藤 美貴

 先日手にした、パンジーだより53号にパンジーが行なった「当事者アンケート調査」の結果が掲載されていました。調査を行なった209名のうち、「将来、入所施設で暮らしたい」と答えた人は2名だけだったということでした。私たちも、昨年度、地域移行の取り組みをはじめている2つの施設において、入所施設から地域の住まいへと移行した知的障害をもつ本人に@入所施設での生活についてA地域移行についてB移行後の地域生活についてインタビュー調査を行いました。籍はまだ入所施設にある自律訓練棟で生活している方も含め、インタビューをさせていただいた70名の方全員が「現在の地域生活と以前の施設生活では、現在の方がいい」と答えていました。このような声は、彼らの本音であり、私たちが最も尊重すべきものなのではないでしょうか。
 ここでは、調査の中から明らかになった「入所施設からの地域移行」に関する実態を述べたいと思います(詳細は今年度末発行の『厚生労働科学研究成果報告書』参照)。まだ入所施設で暮らしている約13万人の人が地域に移行する際にどのような支援が必要なのか? 移行後もどのような支援があれば、地域でより豊かな暮らしができるのか? 少しでもみなさんが考えてくださるきっかけになればと思います。
 @入所施設での生活について:「規則がたくさんあり窮屈だった」「ケンカがあり嫌だった」など否定的な印象が多く語られました。そして多くの方が「施設を出たい」と思っていたにも関わらず、なかなか相談できずにいたことが分かりました。
 A地域移行について:「入所施設→施設内自律訓練棟→地域の自立訓練棟→グループホーム」という流れで、地域への住まいに移行している方がほとんどでした。引っ越し前に「説明、見学」や「職員と一緒に家具を購入する」「宿泊体験をする」などの、引っ越し後の生活をイメージしやすいような支援が提供されていました。さらにアパート探しの支援や結婚への支援を受け、単身アパートや夫婦アパートで生活している方もいました。また、すでに地域で暮らしている人たちが周囲にいることが、地域生活のイメージ作りに役立っていました。一方で、引っ越しの時期や場所、共同入居者などの重要な事柄については職員や施設側が決定しており、本人が関与していない現実もあることが分かりました。
 また、「施設内・地域自立訓練棟」というトレーニング的段階を経てグループホームへ移行しているということは、グループホームに移行できるか否かという「本人の能力」を、「職員」が判断しているということも分かりました。
 B移行後の地域生活について:就労の場や日中・余暇活動の場について選択肢が充実しているかどうかは、グループホームをバックアップしている施設によって違いがありました。しかし、例え充実した選択肢であっても、施設が準備したものが大半であり、地域やそこで暮らす人たちを巻き込んだ場にはなっていないようでした。一方で、本人の会や自治会などが、地域での孤立化を防ぐ場のひとつとなっていました。
 また、食事のメニューや日用品の購入などは本人の希望が反映されるような支援は提供されていましたが、金銭管理の支援や今後の人生を見通すような支援、職員や世話人への苦情を拾い上げるような支援はほとんど提供されていませんでした。
 このように地域への移行を本人の能力を基準にして職員が進めていたり、生活に関わる重要な事柄への決定を職員が中心に行なっているということから職員と本人の間に上下関係が見えてきます。また、地域に出ることで選択できる機会は多少増えたようですが、その内容が日常生活のことに留まっていることや、就労の場や日中・余暇活動の場を施設が準備・支援していることが、本来なら地域で得られるはずのさまざまな機会を妨げているとも考えられます。このような実態は、入所施設の生活とあまり変わりない状態であるとも言えます。入所施設からの地域移行とは、暮らす場所を地域に移すだけでなく、施設内にあった職員との上下関係をなくすこと、選択肢の幅や内容を広げること、さまざまな機会が得られる環境や支援について考えることをも含むものでなければならないと思います。
 また、すでに地域生活を始めている仲間からの情報は、未知なる経験に対する不安の軽減に役立つことや仲間が集まる場が日中活動や余暇活動の場の1つとなり孤立化を防いでいることから、本人の会が地域生活をより豊かにする役割を担っていることが分かりました。今後は、日中・余暇活動の場に留まらず、本人たちが中心になり、本人たちの声を制度・政策に反映させるような活動も求められてくるでしょう。そして、そのような活動が、先に述べたような地域移行や地域生活における課題解決につながっていくのではないかと思います。


えんどう・みき 入所施設で働いた後、四国学院大学社会学研究科修士課程へ。修了後、短期大学教員を経て、現在に至る。主に知的障害をもつ人々の自己決定支援や本人活動の研究を行っている。
「4月に四国・香川県を離れ、関東で生活を始めましたが、いまだに複雑な電車の路線に慣れず、反対方向へ行ったり、乗り越したり・・・。なかなか刺激的(?)な生活です」。




地域生活を選び取った当事者たち

野村信久さん
(クリエイティブハウス「パンジーU」)

 僕が、前にいた砂川更生福祉センター(入所施設)と、今くらしている「てくてく」グループホームを比べると、施設は自由がなく、とっても嫌でした。
 施設の一日は、朝七時に起きて、ご飯を食べ、ラジオ体操をして、朝の会をして、ジョギングをします。それから作業をします。作業は、紙袋を折ったり、ビニールに袋を詰めたりしていました。給料は、多い人で月3000円くらいでした。ボーナスはありませんでした。仕事は3時くらいに終わり、月曜日・水曜日・金曜日はそれからお風呂に入ります。それ以外の日は、部屋でテレビを見たりして過ごしていました。部屋は、2人部屋で見たいテレビもあまり見られなかったです。
 夕食の時間は、5時頃で、夜は8時頃になると“おなかがすいたな”と思っていました。夜は、職員の人が、9時に電気を消すので早く寝なければなりませんでした。
 土曜日や日曜日は、1日部屋で過ごしていました。朝と、昼には、散歩の時間がありました。買い物は月に1回しか行けなかったし、1日100円の小遣いしかもらえませんでした。アルコールもタバコもだめでした。
それに比べると、グループホームはとても自由です。持てるお金も、施設に比べると、多いです。グループホームは、時間が自由で、眠たいと思えば、適当に寝られるということでとってもいいです。今、グループホームだと、ビールとか酎ハイとか飲めるということでとてもいいと思います。部屋も1人部屋で自由です。
今、僕の部屋には、CDやMDデッキ、液晶テレビがあります。僕が、今うれしいのは、グループホームで生活して、電化製品がいっぱい持てたことです。入所施設だと、こんなに電化製品なんか、とてもそろいませんでした。
今、僕が気にしていることは、おしゃれを気にしています。入所施設にいるときは、ジャージでいることが当たり前だったけど、グループホームでは、みんなジーパンとかはいているので、僕もおしゃれはとっても気になります。髪の色も、グループホームに入って変えました。
僕は、まえ入所施設に入っていました、でも、入所施設は嫌です。グループホームに入って、対府交渉もしました。対府交渉では、入所施設をつくるな、グループホームを増やせと言いました。施設より、地域で暮らせるほうがいいと思います。
今僕が思うことは、入所施設よりグループホームが最高だということです。




「ぼくの体験―施設での生活と地域での一人暮らし」
 松岡 敏雄(ピープルファースト北海道)

 ぼくは、東京で生まれ育ちました。19歳から30歳まで東京の七生福祉園に11年間入所しました。その後、北海道の「札幌育成園」系列の「寿都浄恩学園」に入れてあげるといわれ、入りました。「寿都浄恩学園」は、とんでもない「悪い施設」でした。年金は全部寄付だといって取られました。働いても給料は貰えませんでした。福祉事務所の人も、施設の理事長や施設長も「施設」の中身をぼくにわかるようには教えてくれませんでした。
 だから今、裁判を起こして闘っています。
「寿都浄恩学園」は禁酒禁煙で、こずかいを一円も持たせてくれず、缶ジュース1本、飲めませんでした。洋服や下着や靴下など全部、職員が段ボール箱で町から買ってきてサイズだけ合わせて仲間たちに配るのでした。色や好みの柄など何も言えませんでした。そんなことを言えば「正座」とか「食事抜き」とか、叱られると仲間たちは話していました。お風呂には火・木・土にしか入れませんでした。施設には70〜80人の当事者がいるのに泊まり職員は2人でした。
 脱走しましたが、見つかって連れ戻されました。食堂の中で「飯抜き正座」させられました。一週間のその「罰」の間、ぼくは意地を張って水だけ飲んで暮らしました。とてもお腹がすくし、悔しかったです。
 ぼくは、そんな施設が本当に嫌になって、施設を出ることにしました。
 
札幌での地域生活で大事なこと
 家事は一人だと難しい。支援費制度を使ってホームヘルパーなどに手伝ってもらっています。ガイドヘルパーの制度もあります。知らないところへ出かけるときに使えます。
 ぼくは一人だと計画してお金を使えなくて、あればありったけ全部使ってしまいます。いっぱい失敗しました。今は作業所の人にてつだってもらっています。
 自分の思ったことをなかなかいいだせない。でもいろいろな活動の中で、支援者に手伝ってもらったりして、少しずつできるようになってきたと思っています。
札幌での一人暮らしのよいところは、支援者と相談しながら、自分の自由な生活ができるところです。アパートを選んで決めて、そこに住むこと。遊びに行くところを決めること。買い物に行って、好きな洋服や食べ物を買えること。施設と違って、自由があります。ぼくは施設を出れて、本当によかったと思います。
 入所施設はもういらない。できる、できないに関係なく、支援してもらいながら、地域でくらすことが目的だとぼくは思います。




問題になっている行動W
中新井 澪子

 「問題になっている行動U・V」で書いたように要求の手段や方法は持っているにもかかわらず、そして、伝えさえすれば実現に向けて支援してくれる人が側にいる場面ですら、要求を表現することに怯えたり、とまどったりしてそのフラストレーションが自傷他害行動に結びつく人達のことがずーと気になっている。
 先日保育所でも気になる場面に出会った。重い知的障害を持つAくん(6才)は家の事情があり、朝食を食べていないことが多い。保育所側はその分を、給食で補う方針で、積極的におかわりを勧めてきた。Aくんも給食は大好きで、お替りの要求は食器を保育士の所へ持っていくことで表現できるようになってきた。にもかかわらず、彼は何かを避けるかのように皿を持った手で耳を押さえて、保育士の前を行ったり来たりする。そして意を決するようにお皿を差し出すのだ。
 その姿はパンジーのDさんに重なる。自傷行為の激しかったDさん、今ではパンジーでもすっかりくつろいだ状態で過ごせるようになった。いつか、いびきをかいて眠ってしまったことがあり、以前眠いのに眠れずイライラして自傷を繰り返していたのが嘘のようだ。そんな彼も給食のお替りとお茶の要求(いつも持っているペットボトルがからになった時)の時は、今でも落ち着かない。ソワソワしたり、声を出したり、顔を叩くまねをしたり、そしてスタッフや私が横にいると食器やボトルを「やってくれ」とばかりに差し出す。誰も側にいない時はどうするのかとそっと見ていると、厨房の前をやはり落ち着かなく行ったり来たりしている。給食時以外も、彼がいつでも飲めるようにヤカンを置いているにもかかわらず、彼は散々イライラしたあげく、意を決してお茶を飲むのだ。要求が実現したときはいつものことだが、本当にうれしそうに踊るような足どりで彼のお気に入りの場所(仕事をしないときは1人で食堂にいる)に戻っていく。給食もお替わりを断られることはないのだが、自分で直接食器を持って厨房のスタッフに要求するときは、やはり毎回努力している様子である。
 要求が一回スムースに伝わったからといって、次から大丈夫とはいかないのはDさんに限ったことではない。確信が持てない(要求と結果の因果関係は分かりにくい)のか、前のことは忘れてしまうのか、その都度同じ葛藤がくりかえされることが多い。また新しい要求が出来てきたり、要求の度合い(今すぐ・もっともっとなど)によって、問題といわれる行動が激しくなったりすることもある。
 Dさんの場合、家では母親が何でも察して彼の要求を満たしていた。母親がいないと、自分で何らかの表現をしない限り分かってもらえないことを知った頃から、パンジーでの自傷行為が見られるようになった。自傷をすれば表現しなくても要求が通ると思っていた時期もあったと思う。スタッフは彼の要求や思いに気づき、受け容れることから始めた。そのうち声や仕草で表現し、それも最初は特定の支援者にだけ、今ではパンジーの多くのスタッフに安心して、むしろ強引に訴えるまでになっている。自傷行為はその時々に出たり消えたりしてきたが、自傷が要求の手段になることはもうないだろう。
 前々回に書いた「大丈夫」のNさん、要求が分かりにくく、いくつか考えられる要求を紙に書いて(彼は字を書いたり読んだりできる)貼ってあるのだが、それでも突然パニックに陥ることが多い。ところが先日、私のところに一人でやってきて、やおら私の手をとり窓のところへ連れていく。「何をして欲しいの?」と聞くと「フトン」と言って庭に干してあるフトンを要求した。これは、今年のパンジーでの最もうれしい出来事で、これからが楽しみである。来年もよろしくね。




想像できないことは創造できない

林淑美(クリエイティブハウス「パンジーU」施設長)

地域移行とは、知的障害を持つ人の意思と関係なく生活することになった入所施設を出て、さまざまな制度を利用しながら地域の中で自分らしいくらしを築くことをいう。地域移行は、一部の先進的な取り組みに触発され、さまざまな地域で取り組まれ始めている。そして、今後、地域移行はシステムが整備され、実現していくだろう。
 しかし、地域移行を進めることになるだろう入所施設や関係機関の職員と話す機会がある毎に、私は言いようのないもどかしさを感じる。「障害の重い人が果たして地域での生活が可能なのか」「障害の重い人の意志確認はどうするのか」等のどうどう巡りの議論になることが多い。地域移行をどう進めるかの議論に至らないのだ。
 1点目の、「障害の重い人が果たして地域での生活が可能なのか」については、実際に地域で暮らしている障害の重い人の生活を見せてもらうのがもっともよい方法だと思う。私のお気に入りのメルマガで、「人は想像できないことは創造できない。自分の中でイメージできないことは体験することができない」という文章を見つけた。大切なのは、本人の能力を基準に、地域移行が可能かどうかを決めることではない。障害の重い人の地域でのくらしを、目で見て心で感じて、自らが関わっている知的障害をもつ人たちの地域移行の実現へのプロセスを組み立てることなのだ。
 パンジーでは、「どんなに障害の重い人でも地域で暮らせるし、支えられる」と信じている職員が多い。それは、実践を重ねてきた中での実感である。専門家から地域生活が困難といわれている人の地域でのくらしを支援し始める時は、確かに緊張する。どこに住むか、誰と住むか、生活費をどうするか、支援者をどう集めるか、地域との関係はうまくいくかなど、一つ一つを組み立てていく。その過程で、その人らしいくらしができていくのをみるのは、とてもうれしい。しかし、すべてが順調ではない。近所とのトラブルをはじめとしてさまざまな事が起こる。その時は、支援方法や環境を変える事などを試みる。行き詰まる時もある。大切なのは、その人が安心して生活できる日が来ることを信じて、決してあきらめないことだ。近所とのトラブルさえもが、より親しくなるためのきっかけになることもある。
 2点目の「障害の重い人の意志確認をどうするのか」については、以下のように考えてきた。何らかの要因で入所施設に入った人たちが再び地域での生活を選び取るのには、勇気がいる。不安が先立って当たり前だ。彼・彼女らが、不安を抱えながらも新しい生活を始めようと決心するのには、地域で仲間とともに支えあって生活している当事者に出会うことだと、私は考える。そして、地域生活を選びとった当事者たちと、「障害の重い人にとってどのようなくらしがいいか」について話す時、彼・彼女らは「障害が重いから入所施設がいい」とは決して言わない。「支援者がなんとかしてあげてよ!」と言う。そして、たくさんの経験をしてもらう中で、その人が最も安心し楽しそうにしているくらしが最適だと考えてきた。
私は、知的障害をもつ人たちの支援方法に迷った時、当事者に意見を求めてきた。迷いが一瞬にふっきれる時がある。シンプルだが力強い。職員は、専門性の的確さに迷うより、当事者と地域移行に向けての一歩をふみだすほうが大切だと思う。それは、苦しい時もあるが、わくわくと楽しい。




塩野七生著
「ローマ人の物語」考

社会福祉法人創思苑理事長 枝本信一郎

「ローマ人の物語」考などという大それたタイトルをつけてしまったが、この本を論評する意図は無い。熱心な読者というわけでも無い。数年前、ハードカバーで出版され評判になったころには、高いし重そうと、興味は引かれながらも、買って読もうともしなかった。が、最近文庫化され、安いし軽いということで、やっと読み始めた。ただ、作者の塩野七生は、比較的お気に入りの作者の一人ではある。バランス感覚に優れた歴史観が気にいっている。
 さて、「ローマ人の物語」16冊目、初代皇帝アウグストゥスの頃に始まる「パクス・ロマーナ」を読み終わったところだが、「市民」という言葉について考えてみたい。筆者はこの言葉を、政治の当事者・歴史創造の当事者としての自覚を持った民衆という内容で捉え、「知的」障害を持つ人々がどのような形で「市民」としてあり得るのかを考えてきた。そんな意味では、「市民」は筆者の問題意識のキーワードといっても良い。
 塩野七生は「古代の市民とは、投票権をもつことで政治に参加する権利をもつ人を意味する。どこかで彼らの政治参加意欲を満足させなければ、何かをきっかけに不満が爆発する危険があった」と書く。皇帝に「不満が爆発する危険」を感じさせ、「政治参加意欲を満足させ」るための選挙区割りを実行させる、そのような「市民」としての民衆の政治参加の意識が、紀元1世紀前半のローマの時代にあったのである。
 えらい遠回りをしてしまったなー。ここあたりのことを学んだ上で、近代の「市民」について勉強していれば、もっと深く学べたかもしれないな、と思う。
 近代の「市民」について言うと、利己的な雰囲気が漂う個人主義と不可分な語感がある。このため、個人的というより連帯的な主体性を発揮する知的障害者と、言葉としての「市民」を結びつけることに違和感があった。このあたりの違和感を何とかしなければ、知的障害者が市民として登場することは困難なのではなかろうか、などと考えていたのである。
それが、源流としてのローマ「市民」を視野におき、19世紀初めの市民の姿を見つめなおしたら・・・。
 「ローマ人の物語」は、色々なことを考えさせられる本である。

posted by パンジー at 21:36 | パンジーだより