2005-03-01

パンジーだよりNo.55

主張する知的障害者

 障害者の声を全く反映していない「自立支援法」が閣議決議され、国会上程されました。
 2月15日〜16日、「自立支援法」への異議を訴えるため、全国から約2000名の人たちが集まりました。厚生労働省や国会議事堂前で反対集会やデモ行進、座り込みをし、パンジーからも約40名が参加しました。代表団は各党議員たちと話し合いました。
 当事者が強く言っていたことは▼勝手に決められたくない!▼ガイドヘルパーが使えなくなったら困る▼お金がないのにサービスが使えなくなる▼自分の好きなグループホームに住みたい!ということです。当事者のことばに厚生労働省や国会は深く耳を傾けてほしいと思います。私たちはこれからも法案がこのまま通らないよう、訴え続けます。
 さて、今回の特集は『主張する知的障害者』です。
 十二月三日創思苑職員勉強会が開かれました。内容は「職員に言いたいこと」。講師ははっしんきちザ☆ハートの当事者の生田進さんと梅原義教さん。支援者は同じくザ☆ハートの山田佳子。生田さんは、「こんなきびしいことを言ったら「辞めます」と言う人が出てくるのでは? でも、乗り越えてほしい」と言います。また梅原さんは「思っていることを全部言うのはこわい。でもいわなあかん」。そして「パンジーの当事者の代表として話します」と講演が始まりました。
 勉強会に参加した四四名の職員のほとんどが、気持ちを揺さぶられる体験をしました。今回のパンジーだよりでは、その内容を紹介します。
 知的障害を持つ人たちは自己決定できない、主張できないという固定観念にとらわれがちですが、みんな強い思いを持ち、思いをしっかり主張します。精一杯受け止めて、職員・支援者からも返していきたいと思います。




パンジーの当事者から職員へ言いたいこと

職員はえらそうにするな

生田「職員がえらそうにしてると思うのはワープロしてるとき。お金の計算や考え事してるとき。「ちょっと待ってくれ手離せへん」。職員の悪い癖や。話しかけたら話して欲しい。オレよりパソコンを大事にしている。どっちが大事や」
梅原「言い方がきつかったら、えらそう。嫌やな。いっしょに仕事したくない」
生田「きつい言い方や、大きな声でぼやくのはよくない。声をゆるめてもあかん」。

職員は当事者の話を聞くこと

梅原「職員は当事者の本当の気持ちを引っ張って聞いてほしい。話しかけたら向こうから答える」
生田「話を聞いたら当事者は安心するし喜ぶ」

当事者を不安にさせるな。びっくりさせるな

生田「車について。笑いこっちゃない。車がぼこぼこになってる。当事者はびっくりしてよう乗らへん」
梅原「車に乗るのが好きな人はたくさんおる。配達や営業は大切。パンジーの車はぼこぼこで恥ずかしい。車いすで車に乗って運転が荒いと、急ブレーキはお腹が痛い。
 職員は『ちょっとまって』とよく言う。ちょっとってどのくらいと不安になる。理由も言うてほしい。すぐ出れるように準備しといたらいい」
生田「昔石けん工場で働いてて暴力をうけた。ドラム缶投げられて当たったら笑ってた。しょーもない人間がすること。すごいつらい。こき使われて。パンジーの職員が暴力をふるったらあかん。辞めてもらう」
梅原「ピープルファーストで事件のこと、暴力のこと、困ったら相談乗っている。パンジーで暴力があったらピープルファーストやってんのに何やってんの? と思われる」。

職員だけで決めるな

梅原「職員は会議が多すぎる。職員だけで考えるとケンカがあるやろ? 困ったときや新しいことは当事者がかえる会で決めるんちゃうの。当事者は知らんで職員だけ知ってるのはおかしい」。
生田「俺らにはわからんから、先に決めたらいいと思ってるん違うか」

当事者がわかりやすく。意見を言いやすいように

梅原「どらえもん会は職員が引っ張ってる。かえる会は当事者が引っ張ってる。この前どらえもん会が30分で終わってた。あかんやろ。当事者が考えるには短い。当事者が会議の司会をしたらのびる」
生田「かえる会に来るようになった当事者がしっかりしてきた。俺も最初は講演で急に声が出んようになってた。でも毎日のように話して拍手をもらってうまくなった」。
梅原「僕は昔、職員の言うようにやってた。最近はズバズバ言うようになった。僕はピープルファーストをやって考える力がついた。言う場面をもっと作ったらいい。パンジーには言いたいことを隠している当事者がたくさんおる。言葉で表現できない人は、代わりに言ったらいい」

最後に

梅原「今のパンジーはまだ当事者の力が小さくて、職員が大きい。当事者が大きく支援者が小さくなってほしい。そのために職員が助けて欲しい」
生田「いろいろきついこと言うたけど、これを乗り越えて欲しい。よう乗り越えんかったら心が負けたっていうこと」




職員は怖い 山田佳子

 勉強会の支援をして感じたことは「職員は怖い」ということです。
 当事者の生田さんや梅原さんから出た、職員に言いたいことを書いたカードを壁一面に貼り、それを見ながら3人で勉強会の練習をしていて、不安に陥ったことがありました。生田さんは「これだけきついこと言うたら、辞める職員が出てくるんじゃないかと不安やねん。寝る前にいつも考えてしまってしゃーないねん」とつぶやき、梅原さんは「こんなん本当に職員に言うていいんかな? 胃が痛いわ」と苦笑いをしていました。
 本番、職員44名を目の前にするとその恐怖は並々ならぬものでした。いつもは冗談をいいながら笑っている人達が、一瞬にして「怖い集団」になりました。最初のうち生田さんは下を向いたままでした。私は職員のほうを見ることが出来ず、どんどん早口になっていきました。梅原さんとは今まで何百人という人の前で一緒に話をしてきましたが、これほどの汗をかいているのを見たのは初めてでした。
 当事者が日頃、支援されている職員に意見を言うことはこんなにパワーがいるものなのかと身をもって感じました。私にとってとても勉強になりました。しかし、本当に疲れました。

職員の感想
・当事者の人からはっきり自分の言葉で思いを伝えられたのは初めてでした。職員にとっては、こういう形ではっきり伝えられるほど心に感じることはないと思いました。
・支援者には小さなことでも当事者にとっては大きな問題になっていることに気づきました。
・「仕事にかまけて当事者の話を聞いていない」という指摘は、職員だけが忙しくて、当事者が置き去りにされているのかなと感じました。
・まっすぐ心に飛び込んでくる感じでした。ぐさっと胸に刺さりました。
・前半は言いにくそうなので「これだけの職員の前で話すのは大変かな?」と思いましたが、後半を聞いて「すごいな!」と感動しました。




「相手への問いかけになる主張」が生まれる場をつくろう
「パンジーの勉強会」の可能性 〜まとめとして〜

大阪国際大学教授 橋本義郎

 勉強会の講師(知的障害の当事者)の主張の要約記録と、参加した職員が書いた感想・意見を読んで、最初に考え・感じたこと1点について書く。
「パンジーの勉強会」は、「おたがいに主張しあい、共に考え、新しい提案を生みだす」、言いかえれば「相手への問いかけになる主張」の場になっているか、もしくはそうなる可能性をもっていると考えた。
「主張」とは、ただしゃべることではない。自分が「きっとそうだ」と確信をもったことを他の人に認めてもらうために話したり、歌ったり、おどったり、絵をかいたり、作文したりして本気で表現することだ。この主張が「相手への問いかけになる」というのは、相手が賛成の主張だけでなく、反論・異論や疑問も含む主張もかえしてくれることを本気で願って、相手にとどくように工夫し、心をこめて自分の確信について表現することだ。
「全部言うのこわい」「心配」と感じながらも腹をきめて講師が本気で言う。「ワープロばっかり、当事者と話すより、力がかたよってる、どっちが大事なんや」「これから寒いから車で待つのはきつい・・・すぐ出れるように準備しといたらいい」「理由も言うてほしい」。職員はこうかえす。「『ちょっとまってね』とか当事者の方を少し待ってもらったりして、その時に『まってね』と言われた当事者の気持ちになると少し複雑」。
ひとつの主張が、もう一つの主張を生みだしている。その「もう一つ」の主張に刺激されて私は考え、問いかける。「少し複雑」ってどんな感じかな。
こんな具合の主張と対話(表現のやりとり)による合作(はやり言葉でいうと「コラボレーション」)で新しい提案を生みだしていきたい。「俺の言うことは全部正しい、お前らの言うことは全部間違い」と決めつけるような“主張”は大嫌い。




口ばっかりでごまかすな!
カリタスの家調査・抗議行動 

2004年11月、入所施設での信じられない虐待の数々が、毎日新聞で連日のように報道された。福岡県の知的障害者入所更正施設「カリタスの家」で、コミュニケーションの難しい当事者たちが、日常的に多くの職員による暴力の標的となっていた。「炭の作業場で炭を食べさせられた」「ボクシンググローブで殴られた」「当事者を袋詰めにし一晩放置」。施設長も虐待に加担し、熱湯のコーヒーを力ずくで3杯飲ませて大やけどをさせている。
「はっしんきちザ・ハート」では、報道の後、強い怒りと共に、見逃すわけにはいかない、カリタスに行くべきだという意見が出た。12月21・22日、全国のピープルファーストの仲間と共に、現地へ行き、調査・抗議行動を行った。
 ピープルファーストの活動に取り組んできた、パンジーの当事者のアンテナはとても敏感だ。権利侵害を許さない意志と、それを表現する力がある。仲間を大切にする日常的な取り組みに加え、滋賀県の「サングループ事件」で被害を受けた当事者を支援してきた経験が力となっている。
「カリタスの家」に調査に行った生田さんや梅原さんは次のような意見を述べた。「カリタスの職員は『人間として失格でした』って言ってたけど、人間やから悪いことするんや。口ばっかりでごまかしてる」「職員がはっきりしてないから、こんな事件がおきた。職員の支援が足らん。職員は見てないんや」「当事者殴っといて、辞めたらしまいはない。ちゃんと牢屋に入らなあかん」「鍵で閉じこめたら、動物みたいになる。一番したらあかんことや」「入所施設があるから、こんな事件が起きるんや」「ピープルファースト広げて、施設なくしていかなあかん」。
「カリタスの家」の当事者は、今も虐待を受け続けた施設での生活を余儀なくされている。私たちは、状況を打破するのは当事者の力だと信じ、当事者と共に、できる限りの手を尽くして支援をしていく必要がある。(支援者・福岡)




人に対する安心感
中新井澪子

 周りにいる支援者に自分の要求や意思を躊躇なく伝えられる人と、なかなか出せない人がいることを書いてきた。特に後者が気になるのは、彼らはより深刻な問題となる行動を持っており、自身も苦しみ周りも困ることが多いからである。それは彼らが持っている障害の種類や程度によって分かれるのでは決してない。また、彼らが教育や訓練で得てきたコミュニケーション能力の差でもないこともはっきりしている。
 では何が違うのか?私は彼らが持つ「人に対する安心感」ではないかと考えている。
 
 前号で書いたDさんのことを、もう少し話そう。彼は母親に対する安心感はあったが、要求が拒否されたり、行動を制止されたりすると家でも自傷が見られた。パンジーに来ると母親と別れるなり、顔面強打が始まる。筋肉が壊れて黒褐色の尿がでたり、眼底出血の心配もあったので、旅行も彼だけは母親同伴で行った時期もあった。
 私達はまずパンジーのスタッフに対する安心感の確立を容易にするために、Dさんの担当を固定し、出来うる限り行動を共にすることにした。当時彼は外をウロウロすることが多く、お茶とトイレをくりかえしていたが、スタッフのOさんはずっと彼に寄り添っていた。私も週一日はDさんの側に居て、表情、しぐさ、声などから彼の要求をくみとろうとした。「マァッ」「あァッ」の叫び声から「お母さん来てほしいね」「お茶が飲みたい?」などDさんの気持ちを察して言葉にする。その間も彼はバンバン自分の顔や頭を叩き、側にいると耳がツーントするほどの音が続く。「お母さんいないのはつらいよね」「よく我慢しているよ」といいながら彼のお腹や背中を軽く叩くと、その間だけ一瞬自傷が止まるような状態だった。 その後、自傷行為そのものは少なくなったり激しくなったり、すっかり影をひそめたと思うとまた再発したりの状態が続いていたが、その数年こそ、Dさんとスタッフの間の、「安心感」が育まれてきた期間だったように思う。
 言葉にして返すと、自分の要求には大きくうなずくようになったり、母親不在の心細さを共感すると、涙を流して大声で泣いた(母親の話では彼はほとんど泣いたことがないと言う)こともあった。またドリフターズの歌が好きで、音楽に合わせてサイドステップをふむ。一緒に踊ると笑顔がこぼれる。この踊りが出はじめると自傷行為が消えるので、当時のクリエイティブではいつも「全員集合」の歌が流れていた。
 そのうち、担当のOさんや私には強引に手をひっぱっていって訴えるようになる。お茶、買い物、着替え、トイレなどはいいが、要求を出したにもかかわらず、そのとおりにならない場合や(車での外出や時間前の給食など)や分かってもらえなかった時などは、イライラがよけいに募り、悲鳴に近い声を出して周りにいる人をつきとばしたりすることもあった。それでも、自分の要求や感情を支援者にぶっつけるのを歓迎した。
 私がパンジーでDさんと出合ってから8年になる。当初Dさんの担当はOさんだけだったが、次第に他の支援者にも要求が出せるようになり、数年前からは1人で旅行に参加している。同時に、ショートステイも可能になり、自宅(和式トイレ)以外で初めて排便も出来た。
 今でも「お母さん」を要求することがある。時計をみせて「まだ迎えの時間ではないよ」というと「仕方がないなぁ」とばかりに、他の訴え(身体がかゆいとか側に居てほしいなど)で少しだけ我慢している。彼の不安や葛藤が支援者との関係の中で解消されるようになってきているのがうれしい。
 そして今、私はPさんの側に居る。「どんな時も私はあなたの味方だよ」というメッセージを送りながら。詳細は次号で。




「ちがうからこそ豊かに学びあえる」のだ!!
明治図書(2004)

堀 智晴

ここに紹介する本は、堀智晴編『ちがうからこそ豊かに学びあえる−特別支援教育からインクルーシヴ教育へ−』(明治図書・2004)という本です。つまり、私たちの本です。ずうずうしいですが、私たちの本を紹介させてもらいます。この本は、まだ昨年の秋に出たばかりなので、ほかほかです。ぜひ読んで下さい。とくに、学校の先生たちや親ごさんに読んでほしいです。この本は、小学校の先生が三人と、障害のある子どもの親の一人と私の五人で書いています。
 障害があっても一人ひとり本当にちがいます。たとえば、今「自閉症」といわれる人が注目されていますが、自閉症といっても本当に一人ひとりちがった個性を生きています。だから、障害から人間を見るのではなく、まず、生身のその子ども自身、その人自身を見ることが大事です。障害があってもまず一人の人間です。まさに「ピープル・ファースト」です。それもただ一人の人間というだけでなく、一人ひとりがユニークなのです。文字通り「世界にたった一人のその人」です。
 そして、そのように一人ひとりがユニークであるからこそ、おたがいに豊かに学びあえるのだと思います。いろんな感じ方、考え方、生き方があるから、おたがいに影響を与えあって学びあえるのです。私はそのような実践を保育所や学校現場で見てきました。
 この本では、今文部科学省がすすめている「特別支援教育」ではだめだと、理由をあげて主張しています。学校教育を、障害のある子もない子もわけへだてなく、いろんな個性をもった子どもたちが、同じ場で学びあう教育=インクルーシヴ教育に変えていくことが必要だと書きました。インクルーシヴ教育は今、ユネスコが中心になって世界ですすめている教育です。日本の教育も、障害を理由にして<分ける教育>から<共に学びあう共育>へと変えていきましょう。(大阪市立大学)




今のままではダメですか?
クリエイティブハウス「パンジーU」施設長 林淑美

 二〇〇三年に始まった支援費制度は、ノーマライゼーションの理念を実現するために作られた。行政がサービスを決定してきた「措置制度」と比較すると、障害者がサービスを選択できるなど、自己決定が尊重されるとともに、当事者本位のサービス提供が期待され、障害を持つ人たちの地域生活をより可能にする制度であった。
 一〇月に、財源不足を理由にグランドデザインを発表した厚生労働省は、二月一〇日「自立支援法」として国会に上程した。信じがたいスピードである。
 グランドデザインが成立すると、利用に応じて障害者は費用を負担しなければならない。そして、日中活動の場や、グループホームが障害の程度で分けられる。パンジーでは、どこで活動したいか、どこにだれと住みたいかを大切にしてきた。それが当事者の意志とは関係なく、障害の程度によって移行を余儀なくされるのだ。グループホームでのホームヘルパーの利用も困難になる。
 大阪などで先進的な活動として始まり、やっと全国に広まったガイドヘルパー制度も、一部の障害の重い人を除いて市町村任せになる。知的障害を持つ人は、入所施設に象徴されるように、まだまだ集団生活を余儀なくされているのが現状である。そのような中で、コンサートやプール等、自分の行きたいところに行けるガイドヘルパーの制度は、唯一と言っていい個別サービスである。自立生活に向けての取り組みにも重要な役割を果たしてきた。
 財源不足をメインの理由とするなら、日本の経済は既に破綻しているという学者もいる。弱い部分にしわ寄せをするのではなく、だれもが生きやすい社会にするために、抜本的な改革が必要な事はだれの目にも明らかだ。
 見通しは明るくない。しかし、どんな時にも未来を切り展くのは当事者からの発信だ。「今のままではダメですか?」と問う当事者に、国は答えられるのだろうか。私たち支援者は、どんな変化にも対応できるポジティブなビジョンを持ち続けたいと思う。
posted by パンジー at 21:11 | パンジーだより