2005-06-01

パンジーだよりNo.56

グループホームでの結婚生活

 生田さんと中多さんが多くの人に祝福されて結婚してから、約半年がたった。今、2人はグループホームで暮らしている。結婚式は楽しいけれど、結婚生活となるといろんなことが起きる。
 ある時、中多さんが他のグループホームの夕食に呼ばれた。メニューは焼き肉。次の日に中多さんがニコニコしてパンジーにやってきた。「昨日、生田におみやげを買って帰ったった」「何を買ったん?」「レタス!」自分は肉で夫はレタス!? 私は少々驚いた。生田さんに聞くと苦笑いしている。
 別の日、「スナックに行ってきてん!」とニヤリとする生田さん。「中多さんは?」「一人で行った」とのこと。新婚なんだから一緒に遊びに行ったりしいや! と、やきもき。
 でも、2人はたばこを吸うのは居間だけにする、ヘルパーに洗濯を頼むかどうか等、グループホーム世話人と一緒に生活のルールを決めて生活を積み重ねている。
 少し古い資料になるが、2002年に東京都が行った「障害者の生活実態調査」では、647人の知的障害を持つ人の回答があった。
「障害のためにあきらめたり妥協したこと」という質問項目では、多い順に「就職」32.8%、「結婚」30.6%、「異性との付き合い」28.4%となっていた。
 一方身体障害を持つ人の回答では「旅行や遠距離の外出」が一番多く、続いて「スポーツ・文化活動」となっている。
 この結果を見ても、知的障害を持つ人たちにとって、恋愛や結婚のハードルが高いのだと感じる。
 それでも結婚している知的障害を持つ人たちは少しずつ増えてきている。私たちは結婚や恋愛が知的障害を持つ人たちにとっても選択肢の一つとなるよう、自分らしく生活できるよう、精一杯支えていきたいと考えている。
 生田さんに2人の生活はどうですか? と聞いてみた。「好きで好きで、はなれられへんわ!」とのろけてくれた。 




「自分達できめる」 〜結婚支援の中の見守り〜
ハートブレイク 黒瀬清隆

当初、「結婚支援」という言葉からイメージしていたのは「結婚したいと考えている二人がいかにゴールイン出来るように支援するか」と「その後の生活支援や性に関する支援」でした。しかし、実際の支援はそのような外形的なものばかりではなく、「こころの支援」が大きなウエイトを占めていたように感じています。
「好き同士の二人」が一緒に居たいと考えるのはいずこも同じですが、それが結婚となると、二人にとって想像以上の心労をともなうものとなります。ましてや、知的しょうがいを持つ人々にとっては「二人での生活を始めること」そのものも大変ですが、それ以上に「周囲の理解を得ること」が大きな壁となって現れてきます。
今回の支援を振り返ってみると「結婚したい二人の希望をかなえるためのプロジェクト」が開始され、「結婚とは何か」「二人の暮らしをどうするか」「結婚式をどうするか」と進み、めでたく「結婚式」を挙げ、「いっしょに暮らす」・・・と二人の行動と共に話し合いの会は進んでいったのですが、この間、全てがスムーズに進んだわけではけっしてないのです。二人の感情のすれ違いからトラブルも発生したのですが、コミュニケーションのとり方が不得意な彼らにとって仕方ないのかもしれません。家族の説得にも「反対されるのでは?」との憶測から、アプローチそのものにも躊躇がありましたし、結婚することを知った周囲の人々からの反応に一喜一憂することもしばしばでした。
そんなおり、私たちは何をしていたかというと、彼らの話に耳を傾けていたにすぎなかったのです。具体的な対処方を示すケースは極めて少なく、幾つかの選択肢の提示程度しかしていません。つまり「見守り」に徹していたのです。
結果として、彼らは自分たちで考えて決め、実行していったのですが、その基礎は「自分の考えを言える場所と雰囲気があったこと」なのです。「聴く」「待つ」という「こころの支援」はとても大切であり、パンジーにはそれが存在していることを改めて確認できた結婚支援への参加であったと言えます。




結婚○年目、西川さん夫婦にインタビュー

Q:出会いは?
三恵:私が23歳で、大ちゃん27歳よ。先輩から紹介されて一目惚れ。だってかっこよかったんやもん。
大吉:かわいかった。
Q:施設でのつき合いは?
三恵:5つに寮が分かれていて、別々の寮でおった。その時はおつき合いはしよらんかった。私が仕事に行くようになって、仕事にいく寮に移ったら、そこに大ちゃんがおったんよ。
大吉:交換日記しよった。職員に見つかって取り上げられて帰ってこんかった。ほなけど、つき合いは反対されんかった。町内外出するときはデートができた。グループで。
Q:町外外出は?
三恵:職員の監視付き。
Q:プロポーズは?
大吉:結婚してくれっていうた。
三恵:すぐには返事できなんだなぁ。プロポーズは施設におるとき。6年つきあってから返事をしたんよ。
Q:家族は?
三恵:お母さんは喜んどった。おじさん、おばさんも賛成してくれました。
大吉:両親はかんまんって。(結婚していいって)
Q:結婚の具体的な話は?
大吉:間に職員が入ってくれた。
三恵:私が「そろそろ結婚したいんですが」て言うた。
Q・・結婚生活の楽しいこと
三恵:二人でおれるってことが楽しい。ダントツやな。
大吉:会話が楽しい。
Q・・結婚生活のつらいこと
三恵:たまになぁ。私の言うこときいてくれんことがある。すぐケンカしてしまうんよ。ちいと(ちょっと)ケンカもひいて(減って)きてかなぁ。
大吉:家のことを自分ばかりがしたこと。例えば、食器洗い、掃除・・・。(笑)
Q:奥さんがつよい?
三恵:五分五分。こっちも強いでぇ。怖いわ。
★結婚したい当事者に一言
大吉:障害があっても、結婚しようと思ったらどんなことにもくじけないで頑張ってください。
三恵:結婚生活は楽しいよ




昨年の9月に結婚した生田進さんと中多百合子さん。二人はグループホームで暮らしている。二人の暮らしぶりを、パンジーUで働く岡本智さんがインタビューした。

岡本 今朝は何を食べた?
中多 コーヒーとパン
生田 コーヒーを飲んだ。
岡本 誰が作りましたか?
中多 昨日自分で買ってきました。
生田 自分で作りました。
岡本 あとかたづけは?
中多 二人でしました。
生田 たまにヘルパーにしてもらうこともあるな。
岡本 二人一緒に遊びに行くことは?
生田 カラオケに行ったな
岡本 二人でどんなところに行ってみたいですか?
中多 今、考え中!
岡本 最近、一番楽しかったことは?
生田 福岡のグループホームに住んでいる仲間が遊びに来たことやな。
中多 生田の誕生日パーティーに21人もお客さんが集まってお祝いしたこと!

岡本 結婚して良かったことは?
中多 生田さんがコーヒーを入れてくれたり、食事の時はラップをはずしたりしてくれてる。
生田 洗濯たすかってるで(笑)

生活しはじめた頃は、いろんなことでぶつかっていた2人。最近は、ケンカも減って、2人の生活を楽しんでいるように見えます。
 2人がいっしょに生活するために、いろんなことを決めていきました。




パンジーたより
Oさんの結婚の話し合いに参加して

 OさんとNさんが2人そろってパンジーに来て、「結婚したい」と言ったのは、去年の5月頃。でも具体的なイメージがわかない二人。“結婚して二人で暮らすってどういうこと?”“性について知ろう!”ということで、ハートブレイクの黒瀬さんと話し合いをしてきました。
 OさんとNさんは、2月12日に結婚式をし、春から一緒に暮らし始めると決めました。順調にいくように見えた二人でしたが、12月の上旬「まだ結婚は不安なんだ…」とOさんがぽつり。マリッジブルーかな? と想像しましたが、深く話を聞いていくうちにそうではないことがわかりました。OさんがNさんのことは大好きで、結婚したいと思っているのは確実でした。でも、もっとゆっくり2人の関係を築いていくことがOさんにとって必要なのだとわかりました。
 そこでOさんはNさんとよく話し合って2月12日は“結婚式”ではなく“婚約式”にすることにしました。そう決まると、今度は楽しい話でいっぱいです。「衣装は何にしよう?」「ウエディングドレスは結婚式に着るから、カクテルドレスがいいかな」「着物がいいよ!」着る服の話だけで楽しそうでした。「指輪、いつ買いに行こう?」「高いのをおねだりしないとダメよ」、なんて外部の声も聞こえます。
指輪も買って、すてきな衣装も決まり、本番のプログラムも決まりました。
婚約式前日、私はOさんと一緒に過ごしたのですが、ずっと落ち着かない様子で、緊張がこちらまで伝わってきました。夜は一睡もできずに本番を迎えました。
しかし、婚約式は本当にすてきな式になりました。Oさんも嬉しさいっぱいのようでした。
今、2人がどのようになっていくかは分かりません。誰もが経験する悩んだりとまどったりを繰り返しながら、ゆっくりと自分が納得する道を進んで行ってくれたらいいと思います。そして、それを支援したいと持っています。(幸女)




人に対する安心感U
中新井 澪子

 「わくわく」は相談事業も行っており、担当者から助言を求められることもある。先日も不登校になっている中学生のことで話があった。詳細は差し控えるが、「人との安心した関係」は日常性の中で作られること、それはゆっくりで時間が必要なこと、そして傷つきこわれやすいものであることなどを改めて考えさせられた相談であった。
 以前に紹介したAさんも不登校を経験している。パンジーに通い出した当初、彼は幼少期のいじめ経験のフラッシュバックに苦しんでいた。十数年前の出来事をまるで今おこっているかのように相手の名前を叫び、その状況に怯えていた。そんなAさんとパニック解消法について、話しあったことがある。彼は薬を飲むのが一番だが、次は楽しいことや好きな人の顔を思い出すと楽になると教えてくれた。Aさんだけでなく、話すことの出来ないメンバーの中にも、つらい体験をしてきた人はいるだろう。私はすべての子ども達は子ども時代に、安心できる好きな人をいっぱい作り、夢中になれるような楽しい経験をいっぱいやってほしいと思っている。書字や計算が出来なくても、大きなハンディキャップにならないが、困っていることや嫌なこと、やりたいことややってほしいことなどを側に居る人に安心して訴えたり、支援を求めたりが出来ないのは、卒業後の人生の生きにくさにつながってしまう。知的障害の有無にかかわらず、今多くの子ども達のニーズは学力向上より、人間関係力の強化にあるのではと思う昨今である。
 さて、Pさん、私がここ一年ほど、出来るだけ側に居て、彼の気持ちや要求のサインを受けとめ、応えようとしてきた人だ。彼はパンジーに入所する前や来た当初、かなりの物壊しや物投げをやっていた。受け入れに際して、まず安心できる居場所とスタッフとの関係作り、そのためには、壊されたら困るものは部屋に置かない、破壊行動は寸前に止められるよう、スタッフは彼の側に居る。その中で一人は怖い人の役を引き受けるなど、話し合われた。
 Pさんに最初用意した居場所は一人部屋、そこではハンガーの組立てを器用にこなすが、やはり皆のいる部屋が気になるようで、半年もすると自分の部屋の入り口に陣どって、部屋の物を位置や向きをチェックするようになった。誰かが少しでも動かすと必ず元通りにしないと気がすまない。こだわりのある他のメンバーと執拗なバトルを繰り返すことがあった。時には毛布やプラスチックの箱が被害を受けた。
 あれから3年、今の彼の居場所は中庭に面したガラス戸の側、二階のテラスを含めパンジー全体が見渡せる所だ。やはりチェックは入り二階までなおしに行ったりもするが、リラックスも出来るようになった。時々仕事もするし居眠りもする。
 私のPさんへのかかわりは、まず朝の挨拶、言葉だけでなく、握手やぼうず頭をなでることから始めたが、今では「お早よう」だけでうなずき返してくれる。落ち着かないときなどは、肩をもんだり背中をマッサージして彼の反応を見る。いやがる時もあれば、まんざらでもない時もある。「もっとやってほしい人?」と聞くと最初はかすかに指を動かして意思表示した。少し刺激を強くすると声を出して笑ったりもした。それからは、彼の様子を見ながら、例えば「お茶を飲みたい?」などと聞くと、イエスの時は、私の顔を見てうなずいたり、大きく手をあげたりとはっきり応じるようになった。しかし自分から要求を伝えることはなかなか出来ない。やりたいことは、いきなり実力行使になる。




12年を経て新しいステージに

社会福祉法人創思苑
   理事長 林 淑美

 5月下旬、東大阪市花園の銭湯を大改造して、自立生活支援センター「わくわく」とデイサービス事業を移転することになりました。改修は順調に進みレトロな雰囲気のすてきな事務所になりそうです。
 今まで二つの授産施設に集中していた機能を分散させていくこと(集団の適正化と力の分散)は、2001年〜2002年にかけてスウェーデンの当事者団体との交流を通して、パンジーの当事者と共に考えてきたことです。目的は違いますが、はっしんきちザ☆ハートに続いて2つめの移転になります。一歩、目的に近づきました。
「人生は、らせん状に廻りながら進化していく」という言葉を聞いたことがあります。パンジーの運営を開始してから12年、新しいステージに立ったような気がしています。パンジーを核として、どんなに障害が重くても地域で暮らすことをめざして活動してきました。これからは、パンジーの理念を大切にしながらも、だれもが自分らしく暮らせる共生社会の実現のために、さまざまな立場の人とのネットワークづくりを模索していきたいと思っています。
 まわりを見渡せば、不安を感じる事の方が多いこの頃です。効率性を重視した「障害者自立支援法」が実施されると、効率性を要求されるのが苦手な知的障害を持つ人たちにとっては、生きにくい社会になるのは確かです。知的障害を持っている人だけではなく、誰にとっても生きにくい社会だと思います。そのような状況の中で、どんな活動を展開していくのか、まだ漠としています。
 今回の事務所の移転は、銭湯を持っている地域の人からの協力で実現することになりました。たくさんの人の支えの中でパンジーがこれまでやってこれたことを実感しています。今、新しい何かが見つかりそうな手応えを感じています。これまでにも増して、よろしくお願いします。そして、何かを一緒にできたら、とてもありがたいです。




「障害者自立支援法」を考える
創思苑理事 楠 敏雄

 今年2月に厚生労働省は障害者や家族、関係者らの反対を無視して国会に「障害者自立支援法(案)」を上程しました。皆さんもご承知のように、この法案は政府が2003年に導入した「支援費制度」を、財政難を理由に一方的に中止しようとするもので、本当の目的は障害者に対するガイドヘルパーなどのサービスを減らすことをねらったものに他なりません。
 まだ実施から2年を経たばかりの支援費制度を変える理由として、政府はまるで大都市部の身体障害者や知的障害者が、サービスを使いすぎたことにあるかのような言い方をしていますが、それは明らかにごまかしです。なぜなら、元々日本の障害者に対する福祉政策は欧米諸国と比べても非常に遅れており、特に障害者が地域で暮らすための制度は非常に弱かったのです。つまり日本政府は、長い間「障害者のケアは家族がするべきだ」とか「家族がケアできないのなら、コロニーや入所施設で暮らせばいい」という考え方で政策を続けてきたのです。それが私たち障害者のねばり強い運動や、国際連合からの指摘を受けて、ようやく1995年の「障害者プラン」や「支援費制度」の導入によって、地域での生活がしやすくなりかけたところだったのです。そして今度はいきなり「お金がない」という理由で「グランドデザイン」や「自立支援法」を打ち出してきたわけです。
 厚生労働省の役人や多くの政治家は、私たち障害者や家族の危機感をほとんど理解していません。彼等は障害者の実態をほとんど知らずに、机の上で作文をしているだけのように思えてなりません。
 私たちは何もサービス料を全く払わないと言っているわけではありません。実際に年金を含めて一ヶ月10万円以上の収入を得ている障害者は、日本全体の障害者の一割にも満たない状況なのです。これでは負担などできるはずもありません。
 私たちはこの一年かなりのお金と体力を使って厚生労働省に抗議行動をしてきました。政府はあらゆる卑劣なやり方でこの法律を通そうとしていますが、私たちは戦いをやめるわけにはいきません。実際、まだ細かい内容は決まっておらず、これからも厚生労働省や各地方自治体との交渉を通して、本当に障害者が地域で自立して生きていける制度に変えていくことが求められているのです。次の機会にはこの法律の内容について、細かく検討してみたいと思います。
posted by パンジー at 20:59 | パンジーだより