さて、現代社会で「働く」とは何だろう。知的障害者にとって、能力でその人をはかられてしまう労働は、そんなにたやすいものではない。しかし、知的障害者の大部分が「何をしたい?」と聴くと、「働きたい」と答える。
また、ピープルファーストの実行委員会でサングループ事件の学習会をしている席上、それぞれがどんな労働条件で働いているかを話しあっている時のことだった。「○○君の職場はサングループと似てるの?」と聴いたのをきっかけとして、朝早くから夜遅くまで働いたこと、機械でけがをしてもがんばったこと、いじめられたことなどが次から次に話され、「自分だけがつらい思いをしていると思っていたが、みんな経験しているんだ。ここに仲間がいるんだ」と感じあったことがあった。
また、パンジーの当事者の生田さんは働いていた時のことを以下のように振り返っている。「学校をあがってうどん屋の出前持ちをしました。階段でゆれて汁がこぼれて怒られて首になりました。次はぶた山でえさやりの仕事をしました。21才の時、東大阪の石けん工場に来ました。石けん工場の2階で住みました。時計や電話のかけ方は社会に出てから覚えました。給料は安かったです。初めは10,000円でした。最後は68,000円になりました。社長のしんせきの職人が暴力をふるったりしました。預けていたお金を盗られたこともあります。事務員のおばちゃんや食堂のおばちゃんの世話になりました。お金の使い方がわからんかったからお金が残りました。貯金したお金で親の葬式をだしました。えらそうにゆわれても20年間働きました。みんなより給料が安かったので、ぼくは値打ちがないと思いました。こきつかわれたと思っています。」
働いていること、結婚していることが一人前とみなされている社会で、知的障害者は、過去もそして現在も、「一人前」でないと思われてきた。それでも、多くの知的障害者は「働きたい」と思っている。それは、奪われてきたものを、しんどくても辛くてもがんばることで、自らの存在意義を証明しようとしているように思える。
しかし、運良く働き続けることができたとしても、そこだけが社会との接点であるならあまりにも孤立無援すぎる。グチを言い合ったり、勇気づけあったりする仲間や、信頼して相談できる人の存在は不可欠である。また、自信を持って「働きたくない」と言う人もいる。そんな人は、働いた経験を持ち、ピープルファーストの役員などを経験し、社会や仲間の中で自らの役割をみつけ始めたと感じている人であるのを考える時、権利擁護に関係する活動も、労働として位置づける必要があると思う。
パンジーでは、知的障害者が主な活動の場とする授産部門は、すべてのベースであり、当事者の自立に向けての出発点である。
1ヶ月一生懸命働いて数千円という賃金はおかしい。しかし、利潤を追求すれば、納期に迫られて重度の人がおきざりになったり、職員が残業して仕上げなければならない現実がある。あれこれ考えても、矛盾が多すぎる。そのため、働いて賃金を得ることよりも、作った製品がお金に代わり、賃金となる過程が実感できること、仕事を通して自信がもてることを大切にしてきた。最初に仕事があって当事者を選別するのでなく、その人にあった仕事をみつけるよう努力してきた。
一般就労への取り組みは、いくつかの試みもまだ功を奏していない。パンジーの仕事をしながら行う就労支援には限界がある。トラブルが起こってから対処することになってしまいがちだ。その人に応じた就労支援体制を作っていかなければならないと感じる。
林 淑美
『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
