1986年、「障害者も健常者も地域であたりまえに生きていくのだ」という熱い思いとともに自立の家「つばさ」は生まれた。
東大阪市では、普通学校への就学を求めた闘いが展開され、親が希望すれば、ほぼ保育所にも普通学級にも入れるのが現状だったが、卒業後の進路については、親の会が運営する作業所が数カ所あるだけだった。
自立の家「つばさ」は、代表を障害者とし、地域で生きていくことさえ一致できれば、障害の種別や程度を問わなかった。このことは結果として、「重度」の人や「関わりが難しい」人が多く集まることにつながっていった。
生活面では、3人の身体障害者と1人の知的障害者が次々に親元を離れて自立生活を始めた。そして、1991年に知的障害者のグループホームを開設するにあたり、身体障害者が自立生活を始める際に利用できた制度を知的障害者の場合も利用しようと考えた。しかし、身体障害者の場合は難なく利用できた制度が、知的障害者の場合はあらゆるところで思わぬ壁にぶつかってしまった。まず、グループホームでの生活保護受給を認められないと言われた。その当時、グループホームの制度が就労している軽度の障害者を対象としたものであり、重度障害者の入居を予測していなかったようだ。次に生活保護の他人介護料を申請した際、「手足が動くじゃないか」と言われ、知的障害者に介護は必要ないと、認められなかった。
何度にもおよぶ話し合いの結果、生活保護を受給してグループホームに入居することができ、他人介護料の受給やホームヘルパーの利用もできるようになった。そして、気がついてみると、知的障害者としてグループホームで上記の制度の利用は、全国で初めてのケースとなっていた。
1990年頃より、車いすの人たちが4〜5人に、自閉的傾向を持つ人たちと重複障害の人たちで、10坪ばかりのスペースでの日中の活動は、飽和状態に達してきていた。そして、4人の自立障害者とグループホームの介護のため、専従は週に1回は泊まり介護に入っていた。そんな中で、健常者の賃金は生活保護の水準以下だった。
日々の現状は維持していけたものの、地域での自立生活を支援するのは、介護体制のシステム化を計らないと到底困難と思われた。その大きな要因は、グループホームの介護者の質の確保が難しいことだった。しかし、その問題を打開していくには、職員が長続きしないことがあたりまえになっている無認可作業所の力量はあまりにも小さすぎた。
こうした中で、法人化することにより財政基盤の確立と運営の安定をはかり、知的障害者の地域での自立を進めようと考えるに至った。
林 淑美
(『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
2000-10-21
無認可作業所から法人設立へ
posted by パンジー at 21:21
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