2000-10-21

花も実もある力を

 社会福祉法人創思苑の理念について

「地域で共に生きる」この立場は今でこそほとんどの人が認めるところとなっているが、私たちが「パンジー」の前身である自立の家「つばさ」を設立した1985年当時には必ずしもメジャーな考え方にはなっていなかった。1976年の全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の結成時ですら施設や養護学校に反対する私たちの主張は障害者問題に多少なりとも関心を持つ大多数の人々からも厳しい非難にさらされていた。そうした状態は79年の「養護学校義務化阻止闘争」の頃にも81年の「国際障害者年」の年になってもそれほど大きな変化はみられなかったように思う。すなわち障害者は依然として「施設で暮らすのが幸せ」とみなされ、「障害を軽減・克服する教育の場には、養護学校が最適」と、一方的に決めつけられる場合が多かったのである。

 ところで全障連結成の当時、私たちは作業所作りにはむしろ否定的な見解をとっていた。あらゆる形態の隔離に反対し地域で生き続けることにこだわってきた私たちにとって、多くの障害者を一カ所に集めることは「施設の焼き直しになるのでは」と思えてならなかったのである。しかしながら80年代に入って、「ノーマライゼーション」の思想が次第に広がりを見せ始めるにつれて、「点」の集合としての告発型の運動は逆にインパクトを失うようになり、私たち自らも運動方針に行き詰まりを感じるようになってきていた。ちょうどそんな時期だっただけに、私たちは作業所運動のもりあがりに大きな期待と展望を見いだしかけていた。点を線に結びそれらをネットワーク化する、そうした私たちの戦略はかなりの成果をあげるだろうと思えたのである。言うまでもなく私たちの目標は、単に多くの障害者を結集させることにあったのではなく、ましてや作業所という狭い空間で内職や作業訓練に励むことでもなかった。私たちにとって作業所は障害者が地域で自立を促進するための活動拠点の一つであり、コミュニティーや行政に働きかけて社会を変革していくための運動拠点なのであった。

 しかし、如何せん、私たち障害者の多くは金儲けがあまりにへたである。生来の才能や地域的条件にでも恵まれればともかく、それぞれの作業所の担い手がどのような思いを抱いていたにせよ、客観的には資本主義経済システムの隙間からもれだす僅かばかりの「おこぼれ」をどうにかやりくりしているに過ぎない。その意味では、当時の「パンジー」の法人化の選択は、ある種ぎりぎりの「賭」だったのかもしれない。厚生省や大阪府の監査にきちんと対応できるのか、運動のエネルギーが停滞するのではないか、メンバーやその保護者、職員などの意識が自己防衛的、安住的になりはしないか等々の不安を一杯に内包したスタートだったのである。もちろん、そうした懸念は今なお払拭しえてはいないように思われるし、実際に運動を担っている私たちは絶えずそんな「落とし穴」に落ち込まぬようにするための自己点検を忘れてはならない。

 いずれにせよ、私たちは既に「法人化」の道に足を踏み込んでしまった。もはやその是非を論じたり、もっともらしい言い訳に時間を費やすべき時ではない。時々は立ち止まって自らをチェックすることも必要だが、基本的にはあくまで前進あるのみである。さまざまな矛盾が次々と生じてくるのは当然である。しかし私たちはその一つ一つと辛抱強くつきあうしかない。短気をおこして矛盾を強引に排除しようとすれば、必ずや組織の分裂や解体を引き起こすことになろう。ある時は戦闘的に闘い、ある時は大いに騒ぎ、そしてある時はため息をつきながらぼやきあい、そんなスタイルでもいいではないか。どうせ、私たち一人一人の寿命もたかがしれているのだから・・。

 さて、21世紀を目前にして時代は確かに大きく変化しつつある。福祉の基礎構造改革や介護保険制度の導入、福祉サービスの評価基準と地域福祉の権利擁護システム等々、それらの是非はともかくとして、情勢は確実に動いているのである。多くの既成団体が活力を失い、その存在意義さえ危ぶまれつつある。障害者団体もまた同様である。私自身はなにもこれまで掲げてきた基本原則や蓄積してきた内容が、全て時代遅れになったなどと言うつもりはない。まずなによりも、非常に古めかしくなった発想や活動スタイルから脱皮することが必要である。なにしろ日本国の長たる者が一方で「IT革命」を口にしながらもう一方で「神の国」だの「教育勅語」だのを振りかざす始末なのである。現在この国を動かしている人々は、一体どんな社会作りをめざそうとしているのか。立派なビジョンやスローガンは数多くばらまかれているが、それを具現化するための戦略や方針もなければ、ましてやそれを実行する人材も皆無に等しいように思われる。

 今、障害者運動は、他のさまざまな運動と比較してもはるかに元気である。無論、ぶ厚い壁は今なお存在しているが、それに立ち向かうだけのエネルギーも十分に持ち合わせている。新しい人材もそれなりに育っている。求められるのはやはり「力」である。それも単なる「物理的力」の意味ではなく「花も実もある力」である。私たちの運動は総じて「花」はかなり咲かせているようだが、どうも「実」のほうが十分についているとは言い難い。そぞれが、「私たちの花がきれいだよ」と自画自賛しているようだが、それらが十分に「実」をあげているとは言えないように思う。そのためにも、実効性のあるネットワーク作りは必須の課題である。単なる「おつきあい」や「交流」ではもはや力にならない。もっと生産的な議論を継続させそれぞれが知恵と工夫と力量を出し合った連携体制を構築することである。旧来の諸団体に抗して私たちの運動をより有効たらしめるためにも、大胆でしかも謙虚な実践の積み重ねが今ほど求められている時はない。

 私たち「パンジー」の取り組みも7年を経過し、ようやく軌道に乗りつつある。知的障害を持つ当事者の自立も、少しずつではあるが前進してきている。しかし彼らを支援するための方策に関しては、今だ手探りの状態である。今回のパンフレットに紹介した内容について、積極的なご意見やご批判を頂ければ幸いである。                   
                      創思苑理事 楠敏雄
           (『“自己実現を展く環境”を創る』より転載)
posted by パンジー at 22:12 | 理念