知的障害を持つ人たちへの個別支援は、ぜいたくですか?
4月1日、多くの障害当事者が反対した「障害者自立支援法」が施行された。パンジーでは、日中活動の場を拠点とし、知的障害を持つ人たちが地域の中でその人らしいくらしができる事をめざして活動してきた。そして、どんなに障害が重くても、グループホームでくらし、個別支援のホームヘルパーを利用し、休日はガイドヘルパーと余暇を楽しむ地域生活を可能にしてきた。自主的な取り組みが多くの要望となり、制度として実現したのだ。また、このような生活が、入所施設からの地域移行を進めるモデルになる事を願ってきた。しかし、今回の自立支援法では、障害の重い人や関わりの困難な人の地域生活は不可能になってしまう。
自立支援法で、知的障害を持つ人たちへの大きい打撃は、グループホームでのホームヘルパーが利用できなくなる事と、ガイドヘルパーが市町村任せの曖昧な制度になる事だと考える。私が、この2つにこだわるのは、いずれもが、個人の生活を支える制度であるからである。知的障害を持つ人たちにとっては、長年、集団生活を余儀なくされる入所施設がメインの制度であった。そして、徐々に地域生活を可能にする通所の施設やグループホームが制度化されてきた。しかし、それも集団である。それを補うものとして、ホームヘルパーやガイドヘルパーが制度化されてきたのではなかったのだろうか? 知的障害を持つ人たちにとって、個別支援はぜいたくなのだろうか?
この間、多くの自立支援法反対の集会に参加してきた。親の費用負担に反対する声や、私も含めて事業者の立場からの、運営が厳しくなる事を理由にした反対の声は多い。そして、知的障害当事者の、ガイドヘルパーやホームヘルパーに関する発言は少ない。このことが、障害の重い人がホームヘルパーを利用しながら地域で生活している人が少ない事や、ガイドヘルパーの利用も、親の意向にかかっている現状の現れであると思う。
暗澹としてばかりはいられない。現実は容赦なく進んでいる。気持ちを引き締めて、知的障害を持つ人たちがどんな生活を望み、どんな制度を必要としているのかを発信していきたい。 (林淑美)
グループホームを施設にするな!
梅原義教
ぼくは、入所施設をなくすために、いままで たたかってきました。ぼくは、子どものときに、施設に入っていました。毎日、くんれんばっかりで、いやな思いをしました。何で入所施設におらなあかんのか、毎日くやしかったです。
今はグループホームに住んでいます。グループホームで友だちときらくに住んでいます。みんな施設を出て、地域でくらしたらいいと思います。もっとグループホームがふえたら、施設はなくなると思います。
でも、グループホームが施設みたいにされそうになっています。自立支援法でグループホームが悪い方にかえられました。
グループホームでヘルパーがつかえなくなると 聞きました。ぼくはホームヘルパーにいろいろ やってもらっていました。ヘルパーがこなくなったら、世話人の仕事が、たいへんになります。そんなことになったら、ぼくは、えんりょして、やってほしいことも言いにくくなります。
ガイドヘルパーも、つかえなくなるかもしれないと聞きました。ヘルパーといっしょに、外に行けなかったら、グループホームに、とじこもることになります。グループホームが施設といっしょになります。そんなことはやめてください。
また、障害のおもい人と、かるい人で分けられることになります。今までぼくたちは、仲間で助けあってくらしてきました。すきな友だちとくらしてきたのに、なんで分けられるのか。今の友だちが、かるいグループホームに引っこしさせられることになるのでしょうか。そんなことになったら、かなしいです。
自立支援法で悪くかえられるときいて、ぼくたちは何回もたたかってきました。東京にいって、厚生労働省の人とも話をしました。でも国の人たちは、ぜんぜん、わかってくれませんでした。もっと当事者の話をきいてほしいです。
大阪でも、たくさんの人たちと何回も集会を やったり、デモ行進を しました。3月にも大きな集会をしました。そのなかで、ぼくはグループホームを施設にするなと アピールしました。国の人も、きていたけど、むずかしい話ばっかりでした。
施設をなくして地域でくらすには、グループホームがひつようです。もっとふやすために、これからも、たたかっていきます。
「グループホームと自立支援法」
障大連・古田朋也
グループホーム(GH)は入所施設とは違った「地域生活の場」として生まれ、制度発足から15年余りになります。GHによってとりわけ知的障害者の自立生活が飛躍的に伸びるなど、在宅生活や入所施設・病院からの地域移行において、GHは大きな役割を果たしてきました。しかし、4月から施行された障害者自立支援法では、これまでのGHでの暮らしを「非効率」とし、GHを「ミニ施設」に変えていこうとしているのです。
まず、自立支援法の下では、障害程度が中度・重度の人のホームは「ケアホーム」、軽度の人のホームは「グループホーム」と呼ばれることになります。これまでは入居者数をホームごとでカウントしてきましたが、今後は法人全体で人数をカウントすることになり、30人ぐらいの規模にしていくことが目指されています。
従来、世話人の配置は「入居者4人に対して1人以上」(4:1の配置)でしたが、ケアホームで6:1、GHでは6:1か10:1とされます。現行のホームは「4人入居」が多く、一人の世話人が別のホームにも対応しなければならなくなります。
また、「GHでのホームヘルプ利用」も見直され、各入居者のヘルパー利用が大きくカットされます。しかも、入居者それぞれの障害程度区分判定に基づいて報酬額が決められますが、今の額よりも低くなるため多くのGHで補助額が大きくダウンしてしまうのです。
要するに国は、経費削減のためにGHも施設並みの職員配置、支援体制で運営させようとしているのです。GHは入所施設での「集団管理」とは違って、「共同生活のよさ」と「個々の生活を尊重した支援」を併せ持ってきました。大阪府−各市町村ではこれまでGHでのホームヘルプ利用を促進し、また、「運営安定化加算」等、GHへの独自の「上乗せ補助」が打たれてきました。そうした積極策により、大阪では重度障害者の入居も進み、全国でもトップレベルの設置数を実現してきたのです。国の基準どおりに下げられてしまうと、GHでの暮らしが脅かされてしまいます。個々の生活を何としても守っていくために、大阪での制度水準が維持されるよう、府・各市町村に強く働きかけていきましょう。
「誤審」をなくす努力を
3月にアメリカで開催されたWBCでは、一人の審判の誤審によって、日本中が大騒ぎになった。しかし、あの誤った判定に関わらず、最後には世界一になったのだから結果オーライでいいのだけれど、はたして自立支援法の障害程度区分でどれだけ「誤った」判定が出るのだろうか。今度の「誤審」は、結果オーライでは済まされない。
自立支援法においての障害程度区分は、利用できるサービスを選別する。しかし、一次判定で実施される106項目の調査項目や、認定調査員に指導されている国のマニュアル、Q&Aでは、特に知的障害を持つ人たちにとっては、地域生活をおくる上での実際に必要な支援が見えてこない。必要な支援が反映されないまま、サービスが選別されたら、その人の地域生活は破綻してしまう。
私たちもそうだが、知的障害を持つ当事者の多くは、経験を重ねることで、自分の地域生活を獲得していく。それは「これができるから、それもできるだろう」ということではない。一つ一つ積み上げてもいくし、後退もある。この調査では、そうした過程は反映されない。「日常的に」「より頻回な状況で」できているかどうか判断するとマニュアルにある。当事者自身が感じる環境の変化で、できなくなる場面、より多くの支援が必要な場面は、それほど珍しいことではない。それなのに「できる」と判断されたら・・・。
それに行動障害の項目は、コンピューター処理では驚くほど点にならず、区分に反映されない。また、実際に行われている支援が当てはまるところがない。常時支援が必要な状況は、「見守り」も含めてずっと寄り添っているのだということを理解してほしい。これでは、気になることが多い人ほど、地域で暮らしていけない。
また知的の当事者の場合、調査員が特記事項に記入するケースが多くなるのだろうが、2次判定の場である審査会で、特記事項はどう評価されていくのか。評価できないから再調査、という事例も多くでたという話がもう入ってきている。審査会で1人にかけられる時間は5分、10分だという話もある。となると、再調査にならず、特記事項が切り捨てられる事例も必ず出てくるだろう。限られた時間・情報だけで的確にニーズを把握するのは無理があると強調しておきたい。
何よりも、閉ざされた入所施設の生活を想定しているとしか思えないこの調査に対して腹が立つ。それに「できる」「できない」の発想は、夢を奪う。少なくとも私たちは「やりたいこと」を支援してきたし、これからもそうありたい。やはり障害程度区分の仕組み、そのものを変えるべきだというのが本音だが、「誤審」をなくす努力を国に求めていきたい。
認定調査員 福岡挙
「障害者自立支援法」に負けへんで!
「障害者自立支援法」になって、いろんなことが変わりました。そのことについて、かえる会などで話をしました。
1,どうする!? 給料のこと
パンジーとパンジーUに通う当事者が10人増えました。4月の中ごろに、かえる会に「今までの給料を払うのはむずかしい」と職員から相談がありました。かえる会は職員の話を受けて、給料をいくらにするか考えました。
一つめの案は、今までどおり全員5500円。二つめは全員4500円にするという案。三つめは、来た日数で給料をきめる案で、たくさん休んだ人は給料が少なくなります。
かえる会は、2週間にわたって話し合いをしました。
O:今まで、みんなでがんばってきたから、自立支援法で給料が少なくなるのはおかしい!これからもみんなでがんばったら5500円払えるんちゃうの!?
F:給料がへる人が、お金がなくてガイドヘルパーと出かけられなくなったら、かわいそう。
U:休んでいる人の分まで、はたらくのはおかしい。
N:給料へらされたくなかったら、毎日パンジーに来るようになったらいいやん!
どうするか、なかなか決まりませんでした。でも「ゆっくりペースで仕事ができなくなる・・・」ということで、三つ目の案にきまりました。
U:給料かせぐために、お中元でそうめんを売る。たくさん売るで。
K:配達と販売をがんばりたい。パンがたくさん売れるといいなあ。
H:じてんしゃの配達をがんばる。みんな注文をくださ〜い。
N:マフィンをもっと売っていきたい。販売はたのしい。たくさん売れたらたのしいから、がんばってます。
M:仕事をして、お金をためて、みんなでたのしい旅行に行きたい!
2,どうする!? 生活のこと
T:「自立支援法」はひどい。今までは昼ごはんがただやったのに、お金がいるからひどいと思う。もどしてほしい。小泉総理が悪いんやろ?
Y:今、2人介護者がいてるグループホームも夜1人になることがあるってこと?
T:きついわ。
I:倒れたり、発作の人がおったらどうするんや?
T:アンラッキーで死んだら、だれの責任や?
I:厚生労働省の人か? 支援法なんてなかったらええ。
O:支援法になってから職員や介護者がたらんようになった。グループホームでもパンジーでも介護者や職員がへったら、当事者がケガをしたりして、親もパンジーにこささへんわ。パンジーがある意味ないやん! 職員もやめていく人がふえるぞ。国はきたないもんやで。
Y:お金がへらされるし、グループホームではホームヘルパーが使われへんからはらがたつ。めっちゃはらがたつ。自立支援法つぶしたい!
M:ガイドヘルパーも悪くかえられるかもしれんといっていた。
H:どないしょ。
Y:もんくを言いに行ったほうがええ。
I:当事者どうし「大丈夫か」ってあちこち電話するわ。「大丈夫か?」って言うけど、どないにもならん・・・。
職員:本当はどんな生活がしたいですか?
I:お金増やしたい。アメリカに行きたい。すーっとするわ。お金なかったらどこにも行けへん。
T:ヘルパーとどっかに行きたい。おいしいものをいっぱい食べたい。
O:あっちこっち、全国の人と交流。みんなの話をきいたり、あちこちの地域のこととか知りたい。
I:支援法に負けんようがんばらんと!
10年目の春に「加齢」を考える
中新井 澪子
新年度に入り、パンジー、パンジーU、ザ☆ハート、デイサービス各々に、新しいメンバーやスタッフが加わった。私の印象では、スタッフの平均年齢は毎年あまり変わらないようだが、メンバーの平均年齢は着実に高くなっているように思える。今後、特にグループホームでは、中年以上のメンバーを若いスタッフが支援することが多くなると予想される。そこで、シリーズで「加齢」について考えてみることにした。
そういう私もパンジーに週一日来るようになって10年、当然の事ながら10才年齢が高くなった。中年期から老年期へのやっかいな「加齢」と今も、そしてこれからもつきあっていくわけである。病気や怪我なら自覚もするが、ただ歳をとるだけでいつの間にか身体の機能が低下してくる現実はなかなか受け容れがたい。丁度、車で直進しているつもりが、道なりにゆるやかなカーブがあったために、突然方角が変ってしまっていてうろたえる、そんな感じである。私の場合も、私自身の加齢による問題がいろいろある上に、昨年からやはり加齢により歩行困難になった母親の介護も必要になってきた。「こんど、いつ来るの?」と待っていてくれるメンバーもいて、心苦しいのだが、この春から、私の出勤日を隔週から月1回のペースにしていただいた。そんなわけで、当事者である私が今のうちに「加齢」の問題を話しておきたい。
その前に、今回は青年期、成人期にも見られる「退行」にふれておきたい。退行とは、「生涯発達の過程で、いったん獲得、到達した日常生活の適応水準が、何らかの原因で低下し、以前の状態に戻ること」と定義される。昨年の日本発達障害学会では、「退行」に関する発表が多く、シンポジウムも開かれた。報告によると、通所授産144施設のアンケート調査では、対象者5601名のうち5.6%の313名が退行を呈している。発生年齢も平均では44.8才だが、ダウン症は30才位から見られることもあるとのこと。原因としては、@加齢による自然な衰え、低下、A疾病(身体疾患、精神疾患など)、B心理的不適応によるものなどが考えられる。予防や対応として、@についての詳細は次回にまわすとして、一般的な老化予防が有効である。Aについてはドクターとの連携が不可欠である。しかし、私もよく相談を受けるのだが、その状態(動きが鈍くなる、疲れやすい、作業能力や日常生活能力が低下する、よく休むなど)が医療的ケアを必要としているかどうかの判断が難しい。本人の訴えや様子とじっくりつき合って、その上で嘱託医や主治医にまず相談してもらうことが多い。特定の疾患ではないと診断されても、経過は見守っていきたい。Bについては、常にスタッフが取り組んでいることである。人間関係や生活環境の調整、ストレスによる不安や緊張を取り除いたり、回避するだけでなく、ストレスに対する耐性を高めるために、本人が楽しめる好きな活動を積極的に取り入れるなど、メンタルヘルス支援が現場のスタッフの大きな仕事になっている。
退行の原因として、上記のAとBだけでなく、実は@老化とA病気の線引きも困難で、同時にB心理的落ちこみがからむことも多い。一見怠慢な状態であっても、支援者は本人にとっての困難さに共感しつつ、時間をかけて向き合っていくことが要求される。人生は常に右肩上がりではないことを肝に銘じていこう。
ピープルファーストジャパンをやめて
ぼくたちは、今年の1月27日に、ピープルファーストジャパンの会議で、ジャパンをやめてきました。その時に出した手紙をのせます。
ぼくたちは、全国で なかまどおし たすけあって、ピープルファーストの力を 大きくしたいと思って 今まで がんばってきました。ジャパンが できるときも ジャパンで がんばったら、当事者の力が大きくなって 事件や 入所施設が なくなっていくと 思って、事務局を やりたいと 思いました。ジャパンでも、いろいろありました。けんかが おおくて こまったけど、それでも なんとかしなあかんと 思って がんばってきました。でも、去年の5月に 東京に 行ったら、 役員の人たちにかこまれて もんくを いわれました。 なかまどおしで なんでこんなに いわれなあかんのか ショックでした。今まで がんばってきたのに、 くやしかった。 その後の5月の会議で、ぼくたちは やめます と言いました。でも、支援者が でていって、当事者だけで 話をしたとき、みんながぼくたちの 気持ちを わかってくれて、うれしかった。はげまされて、また つづけようかなと 思いました。でも、やっぱり ジャパンは ちがうなと 思っていました。会議が ながくて むずかしくて、当事者が わかってないのに話が すすんで いました。新潟大会の前日の会議で、こうしたら 当事者が わかりやすいとおもって ぼくが 意見を いったら 支援者に もんくを言われました。支援者が おこったら 当事者は なにも言えなくなります。今のジャパンは、本当に 当事者が やりたいことなのかなと思う。やらなあかん、やらなあかん ばっかりで、当事者は つかれてると思います。ぼくたちは だんだん つかれてきました。 会議に でるのも しんどく なって きました。ぼくたちは、みんなが もっと わかるような ピープルファーストをやっていきたい。みんなが「やりたいな」「でたいな」と 思うような会議ができる ピープルファーストを やっていきたいと 思っています。今のジャパンは、ぼくたちには むいてないと 思っています。もう これ以上、ジャパンを つづけることは できません。だから 無責任だけど、今日で 事務局を やめます。
この手紙を他の仲間にもつたえると、「やめないでほしい」「いっしょにやろう」「やめてよかった」「これからどうするの?」と、いろいろなことを言われました。ぼくたちは、ピープルファーストをやめません。でもこれからのことは、みんなにいろんなことを言われて、まよっています。自分たちがどんなことをやりたいのか、今じっくり考えているので、ちょっとまってください。そして、みなさん、これからもおうえんしてください。(生田進、梅原義教)
再び「差別語」と「差別表現」を考える 1
『ピノキオの冒険』
楠敏雄
最近よく「商品の差別化」という言葉を耳にします。「差別問題」に長い間、葛藤してきた私には思わずドッキリとさせられる表現です。
1970年代に大きな社会問題として論議を呼んだ物語のひとつに『ピノキオの冒険』があります。皆さんも小さいころに一度は読まれたことがあると思いますし、その童話がなぜそんな大きな問題になったのかわからないと思われる人も多いと思います。大工のおじいさんの作った木の人形が、さまざまの誘惑を乗り越えてついに立派な人間の子どもになるというストーリーなのですから、それだけを見る限り何の問題も感じないのは当然でしょう。実際いま日本で翻訳され出版されている『ピノキオの冒険』には表現上は特に目立った問題は見あたりません。
ところが19世紀にイタリアのコロッディという作家が書いた原作や1970年代までにいくつかの出版社から出された翻訳では、この木の人形を誘惑するために登場する動物が「びっこのきつねとめくらのねこ」と記述されており、しかもこの2匹は実は「びっことめくら」のフリをしていて、ピノキオの同情を引いて悪の道へ引き込もうとしているのです。しかし、ピノキオはなんとかそれらの誘惑を乗り越えて本物の人間の子どもへと成長し、それと反対にキツネとネコは神の罰を受けて本物の「びっことめくら」になってしまうという結末です。この物語について差別に反対する立場の人々はこの童話が単に差別的な表現を用いているだけでなく、「悪いことをすれば神の罰を受けて障害者になる」といった誤った障害者観を含んでおり、これをそのまま子どもたちに読み聞かせるのは非常に危険だと主張し、出版社に回収を求めたのです。
他方、「表現の自由」を主張する人たちはこの作品を「子どもに夢を与える古典的名作」と評価し、それを禁止しようとする運動に対して「表現の自由を奪うもの」と反論しました。この種の論争は部落差別を扱った島崎藤村の『破壊』や童話『ちびくろサンボの冒険』などをめぐっても激しく展開され出版界やマスコミ界も巻き込んで今なお論議が継続されています。(つづく)
posted by パンジー at 20:05
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パンジーだより